生誕~事業独立
和暦(西暦) -年齢 | 事項 | 関連事項 |
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明治15 (1882)-0 | ・東京都浅草区橋場町63番地(現・台東区橋場2-2)にて誕生 ・腺病質な体質であった |
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明治16 (1883) | 鹿鳴館開館(西洋舞踏会開催) | |
明治22 (1889)-7 |
1月 日新尋常小学校入学 5月 浅草区浅草山谷町(現・台東区清川町)に移転 |
大日本帝国憲法発布 |
明治23 (1890)-10 |
教育勅語発布 岡倉天心 東京美術学校校長になる。 |
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明治24 (1891)-11 |
・浅草区千束町(現台東区浅草3丁目)に移転 ・浅草尋常高等学校転校 ・成績優秀につき、卒業までの間、数々の優等賞状を授与される |
足尾鉱毒事件 (田中正造、質問書を提出) |
明治25 (1892) |
「萬朝報」創刊 (黒川涙香 ) 伝染病研究所設立 出口ナオ 大本教を設立(京都府綾部) |
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明治26 (1893) |
シカゴで万国宗教大会開催 (日本仏教が初めて世界に紹介される) |
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明治27 (1894) | 日清戦争 | |
明治28 (1895) |
日新講和条約調印 日本救世軍の創設(東京都神田) 平安遷都1100年を記念して平安神宮創設 |
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明治29 (1896)-14 | 3月 同高等科卒業 |
蓄音機輸入 活動写真輸入 |
明治30 (1897)-15 |
9月 東京美術学校予備ノ課程入学 ・半年後 眼病の為退学 |
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明治31 (1898)-16 | ・この頃より映画を観始める | |
明治32 (1899)-17 |
・日本橋区浪花町に移転 ・さらに京橋区木挽町9丁目18番地(現銀座6丁目)に移転 ・この頃、肋膜炎に2度罹患 ・更に肺結核となり,不治の宣告を受けるが、菜食療法により治癒 |
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明治33 (1900) |
上田喜三郎、出口家の養子となる (出口王仁三郎と改名) |
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明治35 (1902)-20 |
2月10日 姉 志づ 死去 ・築地2丁目に移転 ・将来、父と書画、骨董の店を開くべく、散歩がてら銀座の夜店の骨董店を覗き鑑識眼を養う。 ・この頃から蒔絵を習う ・数年後作品を上野の美術博覧会に出品、すべて売り切れる |
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明治37 (1904)-22 |
7月 黒岩涙香の講演に感銘をうける ・この頃、西洋哲学書をよく読む (アンリ・ベルクゾン「直観の哲学」、ウィリアムジェームス「プラグマチズム」等) |
日露戦争 東京三越呉服店本店開業 |
実業家時代
和暦(西暦) -年齢 | 事項 | 関連事項 |
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明治38 (1905)-23 |
5月22日 父喜三郎死去 ・独立して京橋区桶町11番地(現・中央区八重洲)に移転 ・小間物小物商「光琳堂」開業 ・店に自作の蒔絵を置き好評を博すが、右手の人差し指の筋を切り、蒔絵制作を断念 11月 京橋区南槙町17番地(現・中央区京橋1丁目5番地)に居を移す |
「日本美術院」を茨城県五浦に移す |
明治40 (1907)-25 |
2月 住居の一部を店に改め、 装身具卸商「岡田商店」を開業 6月 相原タカと結婚 ・茨城県五浦に岡倉天心を訪問 下村観山、木村武山らと一夜語り明かし光琳の重要性を知る ・以後画伯らと親交を重ねる。 ・この頃から約10年間、種々の病苦を経験 |
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明治42 (1909)-27 | ・三越呉服店の児童博覧会に簪を出展、銅賞受賞(出品点数1835点) | |
明治45 (1911)-30 | 5月25日 母 登里死去 |
日本活動写真(株)設立 ストックホルムで第5回オリンピック開催(日本初参加) |
大正2 (1913)-31 |
10月 映画館を共同で経営し、専務取締役取締役となる。 ・営業開始直後、体調を崩し、経営から手を引く ・この頃、経営の合理化を図る(月給制、歩合制、週休制、能力による人材登用など) |
岡倉天心 (50)没 |
大正3 (1914)-32 |
・「旭ダイヤモンド」発明 日本を含む世界10か国の特許取得 ・このほか11件の実用新案を取得 ・斬新なデザインが好評で、流行は岡田商店からと評判になる |
第一次世界大戦 横山大観ら日本美術院を再興 仁科会が文展から分離創立 出口王仁三郎 直霊軍を結成し、街頭宣伝を始める |
大正5 (1916)-34 |
4月 京橋区大鋸町3番地(現・中央区京橋1丁目9番)に転居 ・事業拡張に伴い、店舗を京橋区北槙町1番地(現・中央区八重洲1丁目1番)に進出 ・この頃 、三越呉服店(三越の前身)との取引を開始 ・この年、東京上野公園の東京大正博覧会に簪を出展、銅牌受賞(出品点数106293点) ・この頃、薬の毒性を深く知ることになる ・社会悪を正すため、新聞経営を思い立ち、資金獲得に様々な事業を手掛ける |
〈大正デモクラシーの風潮〉 |
大正6 (1917) | 満州事変 | |
大正6 (1917) |
満州事変 国産トーキー映画始まる |
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大正7 (1918) | 第一次世界大戦の終結 戦後の反動恐慌始まる | |
大正8 (1919)-37 |
・春 取引先の倉庫銀行が支払い停止となり、苦境に陥る 6月11日 妻タカ死去 ・破産宣告を受ける(12万円の負債発生、22年間返済が続く) 12月 太田よ志と結婚 ・事業再建を図り、「岡田商店」を株式会社にする ・その直後、世界的大恐慌起こり、大打撃を受ける |
第一次世界大戦の終結 戦後の反動恐慌始まる |
大本教時代
和暦(西暦) -年齢 | 事項 | 関連事項 |
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大正9 (1920)-38 |
・「大本入信」 10月11日 長女通子誕生 |
世界的大恐慌 国際連盟成立 |
大正10 (1921)-39 |
・社運挽回に努力 信仰は一時冷却状態となる 12月31日 長男至麿誕生 |
第1次大本事件 出口王仁三郎 浅野和三郎ら幹部多数検挙される 中国共産党成立 浅野和三郎 「心霊科学研究会」設立 |
大正11 (1922) | ソビエト社会主義共和国連邦成立 | |
大正12 (1923)-41 |
5月 大鋸町の自宅を売却し、東京荏原郡入新井町(現・大田区山王町2丁目)に居を移す ・後、「松風荘」と命名 8月 奥日光、奥会津を旅行 9月1日 関東大震災のため、再び事業に大打撃を受ける 事業の縮小 10月3日 長男至麿死去 12月2日 次男三穂麿誕生 |
関東大震災 |
大正13 (1924)-42 |
・この頃 槍ヶ岳登山 ・信仰熱高まり、心霊研究に没頭(西洋の心霊研究の名著、J.S,M.ワード「死後の世界」、 ・オリバー・ロッジ卿「死後の世界」等を読む。) ・身辺に奇跡現れる(教祖の身辺に観世音菩薩の姿を霊視するものあり) ・この頃、大本の「鎮魂法」を用い、直接人間の病気を癒す (鎮魂と呼称) |
レーニン没 スターリンこれに変わる 出口王仁三郎 理想国家を夢に蒙古に渡る |
大正14 (1925)-43 |
7月 ラジオ放送開始とともにラジオを購入、聴取 8月15日 次女三弥子誕生 12月25日 大本の雑誌に始めて和歌を投稿 ・昭和9年まで和歌、冠沓句を投稿 宗匠名をもらう |
治安維持法交付 中国で反日運動激化 大日本霊友会結成 |
見真実後
和暦(西暦) -年齢 | 事項 | 関連事項 |
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昭和1年 (1926)-44 | 12月 神示により、自己の使命を感得 見真実の境地に至る | |
昭和2年 (1927)-45 |
6月4日 三女イツキ(斎)誕生 ・この頃、出口王仁三郎聖師により「あなたは今後病気治しをすれば何ほどでも治すことができる。大いにやりなさい」といわれる |
金融恐慌 |
昭和3年 (1928)-45 | 2月4日 事業を番頭に任せ救いの神業に専念 |
特別高等警察の機構拡張(思想弾圧の強化) 天理研究会(現ほんみち)の弾圧 |
昭和4年 (1929)-47 |
4月11日 三男茂芳誕生 ・お祝いの返しとして、扇面画帖に俳句を揮毫した「四季の風月」を贈る ・この頃より書画を書くようになる 4月14.15日 大本の春季大祭に参拝 4月16日 京都亀山の小幡神社参拝 ・この頃より、「御手代」(白扇)を揮毫し、特定の弟子に下付(他人を通しての間接的治病力を発揮する方法を試みる) 5月23日 観音の守護神「金龍神」が教祖の守護神となる |
ニューヨークの株式大暴落世界恐慌 スターリンの独裁 「ペニシリン」の発見 |
昭和5年 (1930)-48 |
2月8日 6月に大使命下るとの予感 6月1日 大森「松風荘」庭内に「みろく塔」を建立 7月21日 富士山登山に出立 7月23日 登頂 下山後随行者の一人が松風荘で「木之花咲爺姫」を霊視 ・「笑い冠句」の会、天人会を発足 12月6日 馬込に住む桜木家の神秘に立ち会う 12月23日 人類救済の神業に専念する日の近いことを知った教祖は初めて誕生の祝いをする |
農村の不況深刻化 谷口雅春「生長の家」 浅野和三郎〈東京神霊科学協会」創立 「創価教育学会」創立 |
昭和6年 (1931)-49 |
5月3日 短歌会、「瑞光」発足 短歌雑誌「瑞光」(後「松風」,「紫苑」となり、昭和10年廃刊) 5月 「日本寺へ参詣せよ」との神示下る 6月15日 千葉県鋸山山頂にて霊界における夜昼転換を感得、この後三日間不思議な出来事があいつぐ ・この頃より、観音像を数描くようになる ・この年、大幅の「日之出観音」画像を揮毫 昭和10年の陸橋に際し、御神体として奉斎 |
三月事件・十月事件 (陸軍のクーデター未遂事件) |
昭和7年 (1932)-50 |
四男 六合大(くにひろ)誕生 ・春 大幅の「大彌勒」画像を揮毫 |
五・一五事件 |
昭和8年 (1933) |
国際連盟脱退 明仁親王生誕 |
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昭和9年 (1934)-52 |
1月4日 松風荘の庭で揚げていた凧が発光 5月1日 東京麹町区平河町1丁目2番地4(現・千代田区平河長1ー4)にて、「岡田式神霊指圧療法」の名で、信仰的治療所・「応神堂」を開業 ・「御手代」を介在とした浄霊法(「施術」と呼称)を岡田式神霊指圧療法として公表 9月15日 「大本」を離れる 9月15日 千手観音を描くようにとの神示を受ける 10月11日 千手観音像の写った霊写真の奇跡現れる 11月17日 千手観音像の揮毫完成 12月4日 祝詞「善言讃詞」作成 12月23日 「応神堂」にて「大日本観音教団」仮発会式執行 ・この年より「仁斎」「自観」と号す |
大凶作、娘の身売り続く |
発会
和暦(西暦) -年齢 | 事項 | 関連事項 |
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昭和10年 (1935)-53 |
1月1日 立教 麹町1丁目7番地1(現・千代田区麹町1-7)に仮本部を置き、「大日本観音会」発会式執行 1月23日 『東方の光』紙発刊(翌年廃刊) 2月4日 『光明世界』誌発刊(翌年廃刊) 5月5日 麹町1丁目に居を移す 「自観荘」と命名(松風荘から家族を呼ぶ) ・『日本医術講義録』執筆し発表(手書きの謄写版刷り) 5月 御手代にかえて「治病観音力」「治療観音力」と書いた「お守り」を授与す ・(浄霊法の普及をはかる) 6月4日「日本医術講習所」の設置(講習会を開き、多数の弟子を養成) 7月15日 観音講座開講「9月15日まで全7回)講座中に神示の農法の根本原理を説く 10月1日 世田谷区上野毛の邸宅(現・世田谷区上野毛3丁目)を入手し移転 ・「大日本観音会」の総本部とする 「玉泉郷(後の宝山荘)」と命名 10月1日 総本部の発会式執行 |
第2次大本事件 天皇機関説が貴族院で問題化 天理教本部、脱税容疑で捜索 |
昭和11年 (1936)-54 |
2月 玉川郷にて野菜作りと養鶏を始める(菜園1反、養鶏60羽) 5月15日 「大日本健康協会」創立(小サッシ『明日の医学』発行 5月27日 玉川警察署の事情聴取を受ける 6月15日 『健康』第1号発刊 7月1日 月次祭にて「大日本観音会」の解散を述べる 7月6日 岡田式療術夏季特別講習会(全12回) 7月28日 警視庁より療術術活動の禁止命令を受ける このため、「大日本健康協会」は自然消滅 8月5日6日 埼玉県大宮警察に留置される 8月10日~20日 玉川警察に留置される(第1次玉川事件) 9月 「観音百幅会」を発足 彩色の観音画像を下付 10月15日 宝山荘に「富士見亭」完成 ・この頃より10数年ぶりに映画鑑賞 以後鑑賞本数は昭和29年の浄化まで相当数にのぼる |
二・二六事件 ひとのみち教団の検挙 大本に解散命令、綾部本部を強制破壊 |
昭和12年 (1937)-55 | 10月22日 治療令禁止解除 浄霊法を「治療」と呼称する |
日中戦争 日華事変 日独伊防共協定調印 浅野和三郎没 (この年8年間におよぶ霊界通信「小桜姫物語」完成) |
昭和13年 (1938) |
国家総動員法公布 天理ほんみち第2次弾圧 政府は全面的に新宗教活動を禁止した 日本立正交成会を結成(庭野)日敬等 |
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昭和15年 (1939)-58 |
11月28日~30日 玉川署に留置される (第2次玉川事件) 12月1日 治療を廃業 この後弟子の養成に力を入れる ・富士見亭で書画の揮毫をする 揮毫量は生涯を通じ画像やく7000体、書100万体におよぶ顕官、実業家などの要望により、施術行為の届け出をする 5月23日 綾部、丹波、元伊勢神宮、奈良、京都、近江を旅行 6月22日 鹿島・香取神宮を旅行 6月30日~7月2日 伊勢神宮、長良川を旅行 |
宗教団体法施行 |
昭和16年 (1940)-59 |
8月22日 日光東照宮、二荒山神社。湯西川温泉(栃木県)を旅行 ・湯西川村で「無医薬」「採食」の教えの裏付けとなる事実を見る 10月22日~23日 熱海、箱根を旅行 ・この年より、「光明如来」「大光明如来」の画像を描くようになる ・また、様々なお姿を揮毫 |
言論出版集会結社等臨時取締法公布、施行 東条内閣成立 太平洋戦争 |
昭和17年 (1941)-60 |
7月14日~15日 熱海、伊豆湾岸、修善寺(静岡県)、箱根を旅行 9月28日 『明日の医術』1.2篇初版発刊 11月5日~7日 善光寺(長野)、草津温泉(群馬)を旅行 12月13日 『結核問題と其解決策』発刊 12月23日~24日 保田。外房州(千葉県)を旅行 ・この頃より無施肥による水稲の実験始める |
食糧管理法公布 |
昭和18年 (1942)-61 |
4月 三浦半島を旅行 10月 『明日の医術』第3篇発刊 『結核の正体』発刊 |
創価教育学会弾圧(幹部ら検挙される) |
昭和19年 (1943)-62 |
2月『明日の医術』発禁処分 ・春 蒔絵を購入 美術品蒐集藁矢 5月5日 箱根強羅、「神山荘」へ移転 (聖地)・神仙郷 10月5日 熱海「東山荘」へ移転 以後、夏を箱根、秋から冬を熱海で過ごす習いとなる ・秋ごろより雲上。楊柳.巖上などの大幅の観音像を描く |
学徒動員令施行 B29東京初空襲 |
昭和20年 (1945)-63 |
・箱根・神仙郷の造園工事始まる ・熱海市伊豆山大久保の土地購入(聖地・瑞雲郷) |
終戦 GHQ設立(マッカーサー最高司令官) 国際連合成立 広島、長崎に原子爆弾投下 宗教法人法公布、施行 一次農地改革 |
昭和21年 (1946)-64 |
8月15日 神仙郷に「観山亭」完成 12月 疥癬の浄化 これにより画像の揮毫はなくなる ・この年初めより観音像に合わせて『光明如来」「大光明如来」の二種の神体を揮毫する |
第二次農地改革 大本を『愛善苑』として再建 |
昭和22年 (1947)-65 |
2月4日 『天国の福音』発刊 8月30日 宗教法人「日本観音教団」発足 ・浄霊法を「治療」から「お清め」と改称 ・この年より、翌年にかけ琳派、日本陶器につき研究 |
日本国憲法執行 教育基本法・学校教育法公布 |
昭和23年 (1948)-66 |
6月 浄霊法を「治療」から「お清め」に改称 7月 『讃歌集』発刊 9月 論文集『信仰雑話』発刊 10月 熱海市清水町に仮本部を設置(清水町仮本部) 熱海の面会所に使用 10月30日 宗教法人 「日本五六七教会」発足 11月8日 税金問題につき大蔵省の査察を受ける 12月 教団機関誌「地上天国」創刊 自然農法に関する論文をはじめて発表 ・秋ごろ、熱海市水口町の「碧雲荘」に移転 |
昭和電工事件 世界人権宣言 |
昭和24年 (1949)-67 |
宗教法人「日本五六七教」発足 3月 教団機関紙『光』創刊(後『救世』ついで『栄光』と改題) 5月 神仙郷に「早雲寮(後・日光殿)完成 6月5日 「日本五六七教会」は「日本五六七教」の包括法人となる 6月25日 「自観叢書」第1篇(結核と神霊療法)発刊 ・この年「自観叢書」第2篇(「無肥料採栽培法」)、第3篇(「霊界叢談」) ・第4篇(「奇跡物語」)第5篇(「自観随談」)第6篇(「怪物か聖者か岡田自観氏の横顔」) ・第7篇(「碁仏と観音教」)第8篇(「明麿近詠集」)第9篇(「光への道」) ・第13篇(「世界の六大神秘家」)を発行 ・翌年「自観叢書」第10篇(「神示の健康法」)第12篇(「自観説話集」)第15篇「(基督と自観氏)」を発行 8月25日 金塊、ダイヤ隠匿容疑で、C・I・Dより、教団施設の家宅捜索を受ける 12月10日 『光』39号 「農業特集号」(論文「無肥料栽培の勝利)を発表 12月25日 歌集「山と水」発刊 この年頃、近代画、大和絵、浮世絵研究 |
中華人民共和国成立
湯川秀樹ノーベル賞受賞 |
散花結実後
和暦(西暦) -年齢 | 事項 | 関連事項 |
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昭和25 (1950)-68 |
2月4日 「日本観音教団」および「日本五六七教」を解散し宗教法人「世界救世教」発足 ・教祖の名前を「明主」とする 4月13日 熱海大火 清水町仮本部類焼をまぬがれる 5月8日 贈賄容疑で教団施設の家宅捜索を受ける 5月20日 『救世』63号「農業特集号」(論文「農業の大革命飯米十割増産は易々たり」を発表) ・(5月20日から6月19日 贈賄容疑で逮捕・留置される) 6月15日 国警・庵原地区署・留置所にて神示あり 腹の中の「光の玉」に最高神の魂宿り、 ・「神人合一」 ・夏 神仙郷に茶室「山月庵」完成 10月 新農法の名称を「自然農法」に統一 10月30日 『法難手記』発刊 11月20日 『世界救世教早わかり』発刊 11月22日 『栄光』79号 「農業特集号」(論文「自然農法の勝利」を発表) 12月23日 浄霊法の確立(論文「浄霊法変わる」を発表)熱海市咲見町に仮本部移転 ・この年東山水墨画、古筆、墨蹟類、宋元画研究 |
朝鮮戦争 警察予備隊令公布 |
昭和26 (1951)-69 |
1月15日 『自然農法解説』書刊行 2月5日 本部機構、地方素子区の改革発表(実現に至らず) 5月22日 東京日比谷公会堂で、「新文明とは何か」につき講演 5月29日~6月1日 第一回関西巡業 以後29年春まで毎年春秋2回関西巡業を行う 8月15日 『結核の革命的療法』発刊 ・この年、中国、朝鮮の陶磁器類、仏画研究 この年より翌年にかけ3,4日ごとに花を生ける習慣 |
宗教法人法公布、施行 マッカーサー解任 映画「羅生門」グランプリを受賞 日米安全保障条約調印 新日本宗教団体連合会 (世界救世教、PL教団、立正佼成会、 生長の家、惟神会等)発足 |
昭和27 (1952)-70 |
4月29日 第3回関西巡業の折、奈良法隆寺夢殿の「救世観音」像拝観 6月15日 神仙郷に「箱根美術館」完成 10月18日 京都嵯峨野広沢池湖畔の土地を購入(聖地平安郷) 12月1日 『結核信仰療法』発刊 ・この年、仏像研究、「樹下美人図」購入、映画「大建設」「天国の苑」(モノクローム)制作 |
サンフランシスコ講和条約発効 日米安全保障条約発効 メーデー事件 農地法・農地法施行法各公布 |
昭和28 (1953)-71 |
1月1日 『アメリカを救う』発刊 2月11日 米国布教開始 5月5日 『革命的増産の自然農法解説』刊行 6月15日 神仙郷完成 箱根地上天国完成記念祭執行 9月10日 『世界救世教奇跡集』発刊 10月16日 瑞雲郷「救世会館」上棟式執行 12月1日 「自然農法普及会」発足 ・この年、「生け花」39点をスライド撮影(これを元にし後年「華道山月」創流 ・映画「東方の光」(カラー)制作 ・「郊壇官窯青磁大壺」を入手 |
NHKテレビ本放送開始 吉田内閣「バカヤロー解散」 スターリン没 |
昭和29 (1954)-72 |
1月27日 『栄光』245号「農業特大号」(論文「日本農法の大革命」を発表)100万部発行全国に配布 2月4日 尾形光琳作『高白梅図屏風』入手 4月19日 脳溢血の浄化となる 4月24日頃 大峠の様子見せられ悲しむ 左掌に五本の筋が現れる ・側頭部の三か所に黒髪が生え始める 6月5日 浄化後初めて教会長らと面会、メシヤ降誕について語る 6月15日 「救世会館」にてメシヤ降誕仮祝典執行 ・この後、二カ月間教祖を「メシヤ様」と尊称する 8月25日 『天国の福音書』発刊 11月1日 月刊誌『自然農法』創刊 11月9日 「救世会館」にて新聞記者と会見 12月11日 瑞雲郷に「水晶殿」完成 この日一泊 |
造船疑獄 全国農業協同組合中央会設立 米国、ビキニ沖で水爆実験(第5福竜丸被災) |
昭和30 (1955)-73 |
2月4日 「救世会館」にて立春祭執行 信者との最後の面会となる 2月8日 野々村仁清作「色絵藤花文茶壷」入手 2月10日 「碧雲荘」にて午後3時33分昇天 2月17日 「救世会館」にて昇天祭執行 3月30日 教祖夫人・よ志、二代教主推戴式執行 |