(03) 青年時代

東京美術学校

 明治二九年(一八九六年)三月、普通では八年間かかるところを、一年短縮した七年間で浅草尋常高等小学校高等科をめでたく卒業することができた。教祖一三歳の春のことである。その時の「卒業生名簿」には、二九名全員の卒業後の進路が …

闘病の明け暮れ

 美術学校へ入学した一四歳から二〇歳ごろまでは、普通の若者にとっては、命の躍動を享受する、文字通り青春時代ともいうべき時期にあたっていたのに、教祖にあっては、病に明け暮れる灰色の日々であった。   眼病は、二年ほどかかっ …

日本橋・京橋・築地

 明治三二年(一八九九年)四月、喜三郎は浅草千束町から、日本橋浪花町へ移り、ここで古物商の店を開いた。このあたりは現在、商業の一大中心地であるが、明治三〇年代も同様であった。ことに、明治二七、八年(一八九四、五年)の日清 …

蒔絵の習熟

 このころ、教祖は奈良時代以来の日本固有の高度な伝統工芸である蒔絵に興味を持ち、将来は自分の店に自作の品を並べたいと考え、近所の蒔絵職人の所へ習いに行くことになった。  蒔絵というのは漆工芸の製品の一種である。木の材質の …

黒岩涙香と萬朝報

 明治三五年(一九〇二年)から三八年(一九〇五年)にかけての数年間、教祖にとって、健康もしだいに快方に向かい、また両親や兄夫婦たちにも支えられた平穏な生活が続いた。このころ力を入れたのは読書を主とした勉学であった。  人 …

哲学の学び

 教祖はさらに、西洋哲学の図書も数多く読んだ。なかでもとくに強い共感を覚え、高く評価しているのは、アンリ・ベルグソンの「直観の哲学」と、ウィリアム・ジェームズが主張した「プラグマチズム」である。  アンリ・ベルグソン(一 …