(17) 神業宣布

分刻みの神業

 終戦後の神業は、それまでの雌伏(将来の発展を心に期しながら困難に耐える)の時代から、いっきに飛躍の時代を迎えて、教祖の日々の生活は大変な忙しさとなった。聖地造営の指揮をとり、多くの信者に面会して指導し、救いの活動の根源 …

日課

 (一)起床 午前七時四五分、係の者が「お時間です。」と声をかけてラジオのスイッチを入れる。教祖はNHKの「朝の訪問」を床の中で聞いた後、八時に起床する。  (二)入浴 入浴は朝夕二固であるが、朝は八時から一〇分ほど、洗 …

面会の起源と変遷

 すでに記した通り、昭和一五年(一九四〇年)一一月の第二次・玉川事件を契機として教祖は第一線の浄霊活動から身を引いた。昭和一〇年(一九三五年)の立教以来ずっと続けてきた浄霊や入信のための教修、お守りの下付などはすべて弟子 …

光を受けて

 宝山荘時代教祖は、幹部の弟子たちには、  「面会はご神業であり、一つの経綸である。」 と述べて、面会を重要視し、時間に遅れたり、寄り道して来たりすることのないよう、固く戒めた。  ある面全日、幹部のTが遅刻してしまった …

献上

 教祖のもとへ面会に来る信者は、さまざまな品物を持参して教祖に捧げることが多かった。米や芋、豆類から野菜、魚類、果物、菓子など、いずれも苦しみから救われたことに対する感謝の心から捧げられた品々である。そこには、  「これ …

愛の浄霊

 すでに記した通り、警察の不当な弾圧により起こった第二次・玉川事件を契機として教祖が第一線を退いたのは、昭和一五年(一九四〇年)一二月のことであった。それから五年後の昭和二〇年(一九四五年)の終戦以来戦、戦時中のような官 …

浄霊法変わる

 浄霊はこうした教祖の心を体した信者によって、全国に救いの輪となって広がっていったのである。  昭和二五年(一九五〇年)、教祖は、それまで相手の身体に触れつつ行なっていた浄霊法を、身体に触れず、一定の間隔(基本的には約三 …

単行本

 教祖の執筆活動は立教のころにまでさかのぼる。思想や言論が統制を受ける時勢にあって、教祖自身の全行動は当局の厳しい監視下に置かれ、間もなく具体的な宗教活動も禁止されてしまった。したがって、たとえ論文を書いても、思うように …

歌集

 数多くの論文とともに、教祖はまた、その生涯に約五五〇〇首の和歌を詠んでいる。その中には叙景歌あり、叙情歌あり、教えを詠んだものありと、その範囲はすこぶる多岐にわたっている。これらの歌には祭典のおりに、「讃歌」として奉唱 …

機関紙

 昭和二三年(一九四八年)の『信仰雉話』の発刊後間もなく、月刊雑誌と週刊新聞(後に旬刊に改める)が発行された。これらはともに、「日本観音教団」として出発するにあたって、その機関紙として発刊したものである。月刊雑誌は『地上 …