天国の福音書

誠の有る無し

 誠のあるなしを最も簡単に知る方法を書いてみよう。誠のある人は何よりも約束を重んじよく守る事である。単に約束を守る守らないだけでは世人は大した事とは思わないが、実を言うと中々そうではない。すなわち、約束を守らないという事 …

怒る勿れ

 昔からある有名な格言に「なる堪忍は誰もする、ならぬ堪忍するが堪忍」と言い、又「堪忍の袋を常に首にかけ、破れたら縫え破れたら縫え」という事があるが、全くその通りである。私はよく人にきかれる事がある。「先生が今日あるはいか …

日と月

 宗教上より見たる日と月について説明してみるが、これは甚だ神秘幽玄にして、コジツケとみらるる節なきに非ず。しかしこれは真理である以上、心を潜めて判読されたいのである。日本古代に三種の神器がある。これは璽、剣、、鏡というこ …

下座の行

 下座の行という言葉は昔からあるが、これは人間処世上、案外重要事である。しかも信仰者において殊にしかりである。信仰団体などに、教義を宣伝する先生に、どうも下座の行が足りないように見える事がしばしばある。昔からの諺に「能あ …

優しさと奥床しさ

 およそ現代の人間を見る時、最も欠除しているものは優しさと奥床しさであろう。まずここでは本教を主として書いてみるが、例えば自分の信仰がどれほど進み身魂がどの位磨けたかを知るには一つの標準があって、これはさほど難かしい事で …

伊都能売の身魂

 私は今まで発度となく、伊都能売の身魂の事を言ったり書いたりしたが、よほど難かしいと見えて、真に行える人は何ほどもないようである。ところが決してそう難かしいものではない。根本が分って習性にしてしまえば案外容易に実行出来る …

人は人を咎むる勿れ

 時々人を咎める事の可否について質かれるから、ここに書いてみるが、実を言えば人を咎める権能は神のみが有せられるものであって、人が人を各めるという事は、実は人が神の地位を犯す事となるのである。又別の面から見るも、人を咎めた …

調和の理論

 昔からよく調和という事を言われるが、これを単に聞くだけでは、いい意味にとれ、道理のように思われるが、実はこれを丸呑みに出来ない点がある。というのはなるほど全然間違ってはいないが、この考え方は浅いのである。そこでこれを深 …

行詰り

 世の中の人ばかりじゃない、信者でもそうだが、よく行詰りという言葉を発するが、これは物の真相を弁えないからで、何事も行詰りがあるから発展するので、つまり行詰りじゃない訳で、丁度駈出しすぎては息が続かないから一休みするのと …