著書

序文

 私は約三十年、信仰生活を続けて来たが、その長い間ほとんど茨の道であった。官憲の圧迫、借金の苦しみ、病苦との闘い等々、筆舌に尽し難きものがあった。人間としてのあらゆる苦しみを体験したような気もする。その半面神の守護、人々 …

世界も、国家も、個人も、あらゆる問題を解決する鍵は『誠』の一字である。 政治の貧困は誠が貧困だからである。 物資の不足は誠が不足しているからである。 道義の頽廃(たいはい)も誠のない為である。 秩序の紊乱(びんらん)も、 …

正しき信仰

 支那の碩学(せきがく)朱子の言に「疑は信の初めなり」という事があるが、これは全く至言である。私は「信仰は出来るだけ疑え」と常に言うのである。世間種々の信仰があるが、大抵はインチキ性の多分にあるものか、そうでないまでも下 …

常識

 そもそも、真の信仰とは言語行動が常識に外れない事を主眼としなければならない。世間よくある神憑式や、奇怪な言説、奇矯なる行動等を標揺する信仰はまず警戒を要すべきである。ところが多くの人はそういう信仰を反って有難く思う傾向 …

宗教と政治

 政治と宗教とは大いに関係があるにかかわらず、今日まで余り関心を払われなかったのは不思議である。むしろ宗教が政治に関与するを好まないばかりか、反って政治から圧迫されて来たというのが終戦以前までの実状であった。これは古往今 …

宗教と芸術

 今日まで、宗教と芸術とはあまり縁がないように多くの人に思われて来たが、私はこれは大いに間違っていると思う。人間の情操を高め、生活を豊かにし、人生を楽しく意義あらしむるものは、実に芸術の使命であろう。春の花、秋の紅葉、海 …

敗戦の教訓

 日本が敗けたという事は、日本が救われたのである。なるほど一時は悲観のドン底に陥り、上下を挙げて未だかつて経験せざる混迷状態に陥った事は我々の記憶に新たなるところであるが、実をいうと、それは一時的であって、将来を想う時は …

悪の追放

 悪とは何ぞや、言うまでもなく自己の利益の為に他人を脅(おど)かし、苦しめ、社会を毒する行をいうのである。この悪の為に、個人は固より社会全般に損害を与える事は、蓋(けだ)し大なるものがあろう。人事百般大なり小なり悪による …

善を楽しむ

 私はつくづく世の中を観ると、多くの人間の楽しみとしているところのものは、善か悪かに分けてみると、情ないかな、どうも悪の楽しみの方がずっと多いようである。否楽しみは悪でなくてはならないように思っている人も少なくないらしい …

信仰の醍醐味

 私は信仰の味について世人につげたいのである。天下何物にも味のないものはない。物質にも、人間にも、生活にも、味の無い物はほとんどあるまい。人生からこの味を除いたら、文字通り無味乾燥全く生の意欲は無くなるであろう。したがっ …