東方の光

神定めの浄化

 昭和二九年(一九五四年)四月一四日、教祖は七回目の関西巡教を終えて熱海へ帰ったが、その翌日から一七日までの三日間、長旅の疲れも見せず、咲見町仮本部において信者との面会を続けた。おりしも、関西巡教出発の前日の四月九日から …

メシヤ降誕仮祝典

 こうしたさなか、教祖の肉体に、神秘な変化が起きた。  その一つは、教祖の左の掌に五本の筋が現われたことである。その一本一本の指に、指先から付け根まで、五本の縦皺が鮮やかに刻まれていた。  あまりの不思議さに、側近奉仕者 …

水晶殿と光の柱

 すでに記した通り、水晶殿の建設は昭和二九年(一九五四年)九月一七日に着工、教祖がその完成を急いだので、突貫工事が行なわれ、三月足らずのうちに、つつじ山を見おろす景観台の上に、半円形の独特な建物が完成したのである。    …

待望の藤壷

 立春祭から三日後の二月七日は、前年一一月、箱根から戻って以来の浄化の中でももっとも強い浄化があり、激しい苦痛に見舞われた。教祖は終日、床について静養した。しかし翌八日、浄化が幾分弱まり、気分も好転すると、瑞雲郷に行くと …

衝撃の知らせ

 二月八日の夜、喜びをもって眠りについた教祖であったが、夜遅くなって身体に変調を生じ、よく眠ることができないまま寝苦しい一夜を過ごした。そして迎えた翌九日の昼食後のことである。  教祖は箱根、熱海の造営や箱根美術館別館の …

涙の奉仕

 教祖の昇天という予想だにせぬ重大事を迎えた教団は、その夜、緊急役員会を開き、教祖の遺志に従って、よ志を二代教主に推戴した。また衆議の結果、墓所祭を二月一七日と決め、箱根・神仙郷内に奥津城を建設し、教祖の遺体を埋葬するこ …

葬送

 二月一七日、午前二時、奥津城の建設現場は最後の追い込みで、氷点下の冷え込みにもかかわらず熱気が渦巻いていたが、一方、熱海・碧雲荘では、紅梅、白梅が夜の闇に浮かび、芳香が静かに漂う中、おごそかに柩前祭の儀が執り行なわれた …

神人在茲

 昭和二七年(一九五二年)一〇月四日、教祖は箱根で、当時読売新聞社・科学部次長であった為郷恒淳と対談したが、その中で、 為郷 その(光の)〈*〉玉と言ふのは明主様だけがお持ちになって居られるのですか。 教祖 そうです。 …

遺託に応える

 よ志は教主を継承するにあたり、敬虔な祈りを込め、神前においてつぎのような誓いの言葉を述べた。 「明主様がご昇天前に仰せられておられましたご趣意通り、ご昇天遊ばされました今日、ただちに役員会において、満場一致をもって、私 …

あとがき

 本書『東方の光』は、世界救世教・岡田茂吉教祖の生誕百年を記念して、その七十二年に及ぶ多彩な生涯を紹介する目的をもって編纂されたものであります。  信者は、教祖を「明主様」と呼んでおりますが、本書では、その明主様の生涯を …