花への愛
若いころ、芸術家を志した教祖は、後に宗教の道にはいり、最終的には画家や蒔絵師にならなかったものの、その後も大いに芸術を好み、また美しいものを生涯愛好してやまなかった。中でも、身近な美としてもっとも愛したのは花である。 …
「花による天国化運動」
教祖は来客があると、客の好みの美術品を用意してもてなした。したがって花の場合にも、自分だけのために生けるのでなく、その美しさを客人や信者、家族や奉仕者などと共に楽しんだのである。 このように、教祖は花を重んじ心を込めて …
初の巡教
教祖は昭和二六年(一九五一年)の五月から、毎年、春秋二度にわたって中部、関西両方面への巡教を始めた。それは、増加の一途をたどるこれらの地域の信者に親しく浄霊と講話をし、より高く純粋な信仰へと導くことを目的としたものであ …
平安郷
京都旅行において教祖は、重大な神意を感得した。それは箱根及び熱海とともに第三の聖地を京都に建設するということであった。教祖は火としての箱根、水の熱海、土の京都、この三つの地に聖地が完成することによって三位一体が構成され …
法隆寺
昭和二六年(一九五一年)の二度の巡教で、京都の主要な史跡を一巡した教祖は、二七年(一九五二年)の春には、奈良をたずねた。 教祖が参拝したのは、藤原氏にゆかり深く、その庇護のもとに大いに栄えた興福寺と春日大社、聖武天皇 …
最後の巡教
昭和二九年(一九五四年)四月一〇日は好天に恵まれ、春たけなわの一日であった。教祖は愛車・スカイブルーのキャデラックに乗って、七度目の関西巡教に出発した。その夜は名古屋市内の「メシヤ中教会」会長・藤枝真和(本名・茂)邸に …
講演会開催
昭和二五年(一九五〇年)、教祖はこれまで進めてきた浄霊と出版物の刊行による宣教に加えて、直接、生の言葉で語りかける耳からの布教にも大いに力を入れることとした。このために本部に宣伝部が組織され、やがて第一回の講演会が開か …
『アメリカを救う』
教祖の巡教が行なわれたこの時代に始まり、大きな進展をみたものに海外布教がある。昭和二五年(一九五〇年)、日本観音教団と日本五六七教が統一されて、世界救世〈メシヤ〉教として発足した時、教祖は、 「これ迄は観世音菩薩の御 …
第一の布石
教祖は昭和二五年(一九五〇年)ごろから、「アメリカ布教は樋口さんに。」と語っていた。東京女子大学英語専攻部を出た樋口喜代子は、かつて日本女子大の講師を勤めるなど、長い間英語教育に携わったが、昭和一九年(一九四四年)、神 …
愛に包まれて
アメリカへの渡航は教祖の言葉通り、昭和二八年(一九五三年)の二月にはいってにわかに事が進み、二月一一日、樋口らはハワイヘ向けて出発したのである。 ハワイへ渡った後、教線の伸びは目覚ましく、同年八月、ハワイ州政府から法 …