口述
執筆された論文は、教祖みずから直接に説いたものである。しかし教祖自身は神の代行者としてこれを説くという、厳然たる姿勢でのぞんでいた。したがって、教えは神の言葉として特別な取り扱いをし、教祖自身それを「神書」 と呼んでい …
活字による浄霊
文章を書く心構えについて、教祖は大要つぎのように書いている。 「およそ、文章というものは、書く人の想念が文字を通して、読む人の想念に反映するものである。したがって、私が神意のままに書いた文章は、霊的には、読む人に神の …
筆だこ
救世の神業を始めて以来二十余年、教祖みずから揮毫した書画は厖大な数量に達する。その間、教祖は一貫して並々ならぬ情熱を込めて筆を揮った。 教祖の書を専門の書家が賞賛したことはすでに触れたが、そうした芸術的な価値をもつと …
新案「墨すり器」
このような大量の揮毫になると、そのために墨をするのが大変だった。何しろお守り五〇〇枚を書くのに、大きな丼一杯の墨を必要としたのである。しかも、墨汁のようなできあいのものではなく、必ず硯ですった墨が使われたのである。とこ …
花への愛
若いころ、芸術家を志した教祖は、後に宗教の道にはいり、最終的には画家や蒔絵師にならなかったものの、その後も大いに芸術を好み、また美しいものを生涯愛好してやまなかった。中でも、身近な美としてもっとも愛したのは花である。 …
「花による天国化運動」
教祖は来客があると、客の好みの美術品を用意してもてなした。したがって花の場合にも、自分だけのために生けるのでなく、その美しさを客人や信者、家族や奉仕者などと共に楽しんだのである。 このように、教祖は花を重んじ心を込めて …
法隆寺
昭和二六年(一九五一年)の二度の巡教で、京都の主要な史跡を一巡した教祖は、二七年(一九五二年)の春には、奈良をたずねた。 教祖が参拝したのは、藤原氏にゆかり深く、その庇護のもとに大いに栄えた興福寺と春日大社、聖武天皇 …