書籍

總斎の帰幽

 そして、ついに十七日を迎える。  二代様の熱海ご到着は当初午前六時半を予定されていたのだが、なんと、事放のため列車は東京・沼津間で不通となり、ご到着は午後一時過ぎになるというではないか。病床の總斎は相変わらず大勢の信徒 …

御供仕え

 この五月の夕暮れの中に、嘉丸は不思議なものを見た。いや、見せられたといった方が正しい。それは嘉丸だけになされた、總斎の最後の教えだったのかもしれない。  嘉丸は二階の廊下の藤椅子に腰をおろした。彼は今日という日を永久に …

五月十九日に密葬。

 そして、昭和三十年五月二十一日、渋井總斎の葬儀が、自ら信徒の宿泊施設として建てた熱海・咲見町道場で執り行なわれた。午前中の明主様百日祭に続く悲しみの儀式である。渋井總斎の功績を讃える世界救世教の教団葬であった。二日前の …

渋井總斎 年譜

明治一九年(一八八六) ・三月二二日 埼玉県北埼玉郡村君村字名 (現、埼玉県羽生市大字名)で父倉次郎、母せいの四男として生まれる。  大宮、堀之内の城主渋井越前守、江戸中期の佐倉藩儒者、渋井大室の後裔 明治中頃  村立小 …

(一)序説

 ご参拝のさい、一般に「天津祝詞」を奏上し、特別の祭典時に、「神言」をあわせ奏上するを例とするが、このふたつの「のりと」は、日本民族が、その古神道信仰の唱え言葉として、昔から、伝統的に奏上してきたものであって、その起源に …

(二)言霊による浄めについて

 これについても明主様は、 『人間が発する言霊であるが、これもすこぶる重大なる影響を与えるもので、悪に属するもの、すなわち、他人の悪口、愚痴、偽りなどの言葉は、霊界を曇らせることおびただしいのである。──それから、種々の …

(三)罪穢と禊祓、浄霊

このように、明主様は「天津祝詞」「神言」によって、罪穢が浄められ払われるということを重視されておられるが、このことはまた、本数独特の神事行法である「浄霊」にも、深い関連をもつことに注意しなければならない。  浄霊のさい、 …

(四)浄化作用と「天津祝詞、神言」

 神に祈り、神に槌って、もろもろの苦痛、苦悩、つまり浄化作用を軽からしめんがための願いが「天津祝詞、神言」の奏上となって、古来から伝承されてきたのであって、これらの祝詞は一言にしていえば、主神はじめ祓戸の神、八百万の神々 …

(五)本教と天津祝詞、神言の関係

 このように、われらは、明主様によって、神のご経綸と人生の真の意義を教えられ、浄霊によって、お互いに浄めあう道を許されたのである。これこそまことに、神の愛し子、神に近づき得た者といえるであろう。かかる人びとが、さらに浄め …

(一) 善言讃詞の歴史

 はじめに善言讃詞の歴史的経緯について述べてみたい。  本教は昭和十年一月一日に「大日本観音会」なる名称のもとに、明主様によって立教されたものであるが、ご承知のごとく、明主様は実業人として活躍しておられた大正年間から信仰 …