總斎の帰幽

 そして、ついに十七日を迎える。

 二代様の熱海ご到着は当初午前六時半を予定されていたのだが、なんと、事放のため列車は東京・沼津間で不通となり、ご到着は午後一時過ぎになるというではないか。病床の總斎は相変わらず大勢の信徒や教師に囲まれ、溢れた人びとが廊下を占めているほどで、さらに入信していない見舞客までもが、信徒とともに手をかざして浄霊するという光景さえ見られた。やがて午後一時は過ぎたが、事務所からは二代様ご到着の連絡はない。

 見た目には總斎の症状は変わらないが、脈はますます細くなる一方なので、今日一日ももたないかと思われた。信徒たちは、何とか二代様のご到着まではと、必死に祈りを捧げる。そのうち事務所から連絡が入り、沼津までお迎えの車を出したから二時までに熱海にお着きになるという。まわりの者にとっては一分という時間のなんと長かったことか。總斎は文字どおり生死をかけて闘っている。

 二代様のご到着は、あるいは霊界で十分に間に合うように明主様が決めておられたのかもしれない。しかし、このような忖度も過ぎ去った今だからこそできることで、その時に居合わせた者はすべて必死だったのである。

 そして二代様が碧雲荘に着かれた。お疲れもあったろうに、直ちにそちらに向かうという電話が桃山台に入り、にわかに二代様をお迎えする準備で忙しくなった。信徒たちはお出迎えの手配や病室の清めなどに、あわただしく立ち働く。

 二代様は桃山台に着かれると、あの大きなお身体がのめるように速く歩まれ、一瞬、總斎の病室の入口で立ち止まられたようであったが、お座りになるや否や、 
「渋井さん……」 
 と言われたまま、涙を落とされた。まわりの者は直ちに二代様が浄霊を取り次がれることと思っていたのに、横に臥せる總斎の顔を覗き込み、ただいとおしむように顔を撫でられるのである。總斎の顔には二代様の涙が一つ、また一つと落ちていく。
「生きてほしい。たとえ目が見えなくとも、口がきけなくとも生きてほしい」
 と、二代様は祈りのように独り言を言われ、總斎の顔を見つめておられた。

 この祈りが届いたのであろうか、その時總斎の目が開いた。はっきりと意識のある力強い目である。とたんに二代様は、
「渋井さん……」
 と、手を握りしめ、總斎の目をみつめた。同席していた家族をはじめ、皆がハッとして總斎の顔を見た。まさに奇蹟としか思えなかった。この奇蹟は長く感じられたが、あるいはたった数秒のことだったのかもしれない。

 總斎の目は再び閉じた。二代様の大粒の涙がまた總斎の顔に落ちたが、もはや總斎の目は開かなかった。
「こんなに胸も厚く心臓も強い。なんで医者に見せないのですか」
 と、二代様はなかば叱りつけるような口ぶりで話された。とうに医師や薬の力を超えた段階であることは二代様は十分にご承知のはずである。そのようなお言葉でも叫ばずにはいられないお気持ちであったのだろう。

 そのあと『善言讃詞』をあげられ、浄霊をされて、
「関西方面から今帰ったばかりで、まだ着替えもせずに伺いましたので、いったん帰ってすぐ出直してまいります」
 と、おっしゃり、後ろ髪を引かれるご様子でお帰りになった。 再び大勢の信徒が病室に入り看護と浄霊が始まった。ところが何気なく吸い飲みを口に付けると、總斎はゴックリと音をたてて飲んだではないか。周囲にいた者みなが驚き、 
「先生! 先生!」 
 と、總斎に声を掛ける。看護の者たちは再度吸い飲みを總斎の口に運んだが、今度は受けつけなかった。總斎は何事かを二代様に伝え終えたのであろうか、大任を果したかのようにおだやかな表情を見せるようになった。

 急にまわりが静かになり、一瞬、空気が凍ったようになった。總斎の脈が細くなり、ついにその脈も絶えた。時に午後三時三十三分。それは、ちょうど二代様の車が碧雲荘に帰着した時刻でもあった。

 周囲の信徒や教師たちは一斉に、
「先生!」
 と言って布団ににじりより、階下の信徒たちも駆け上がって来た。巨星墜つの衝撃は、音もなく桃山台全体を震わせた。

 總斎の帰幽の時は三時三十分として碧雲荘に報告されたが、本当の時刻は霊能者の予言通り“三時三十三分”が正しいと思われる。奇しくも明主様がご昇天された時刻と全く同一であった。總斎は四男として生まれたが、上の兄が死産したため身代わりとして“總三郎”の名を持っている。先に触れたように浄化後、ある霊能者から、 
「なぜか『三』という字が三つ出て来た。その意味は判らぬが、気をつけられよ」 
 と、警告されてもいる。このように“三”という数字は、この世に生を受けた時から生涯を終える時まで、總斎につきまとうことになったのである。

 さて病室では、泣きながら次々と信徒が筆尖に水をつけ、總斎の口に運んで手を合わせていた。しかし、床に横たわった巨躯はまだ温かく、顔の血色も依然としてよい。すでに彼岸に在る人とは思えず、今にも起き上がり、
「みんなどうした」
 とでも声を掛けてくれそうな總斎であった。それはちょうど、大勢の信徒に囲まれた釈迦の涅槃図を思わせた。 

 知らぬ間に、仏陀の肉髻のごとく、總斎の頭の頂点が盛り上がっていた。仏が身に具えている優れた容貌形相のなかで、特に顕著で見易いあの三十二種を「三十二相」というが、肉髻とは、その一つ「頂髻相」の別称である。しかし、本来この相は何人も見ることができない相とされていた。臨終の總斎の頭のふくらみは、看護の人びとに神秘的な印象を与えた。

 やがて新たな弔問の人びとが到着し始めた。通夜の準備を手伝っていた人たちには一時外に出てもらったほどであった。

 慌ただしさの中で誰も気がつかなかったが、いつの間にか空が真暗になり、雨滴が落ちて来た。この日は朝から快晴で雲一つなかったのに、雨脚は總斎を惜しむ天の号泣のごとく、ついに地面に雨粒を叩きつけるような豪雨となった。当然、誰一人として雨具の用意はないので、弔問の人びとには家の中に入ってもらうことになったが、人数が百名を超えたため家に入りきらず近所に雨宿りをお願いした。

 そのうち小降りになり、ほどなく雨は上がった。五月の夕暮れ、まるで清めの雨が降ったかのような清々しさがあたりにひろがっていた。

 ほどなく二代様が、碧雲荘におられたご家族ともども弔問にお見えになった。そして、總斎の枕元で、
「岡田家の今日あるのは渋井さんのお蔭です。みなもこのご恩を肝に銘じ、くれぐれも報謝を忘れないように……」
 と言われて、静かに手を合わせられたのである。静かな眼差しであった。二代様は總斎の家族にも温かいお言葉を残されて帰られた。

 やがて弔問客のお別れも一段落すると、もう二階の病室には誰もいなくなり、總斎の遺骸と長男の嘉丸のみとなった。