書籍

陰徳の御用(法難前夜)

「それは明主様に対し誠に申しわけないことだから、全部私の方に課税するように査察官にお願いしてください。神田さん、このことはあなた一人の胸におさめて決して公言しないように。いいですね」 「しかし渋井先生、それでは先生一人が …

「世界メシヤ教」

 昭和二十五(一九五○)年二月四日、立春のこの日は本教にとって歴史上重要な日となった。「日本観音教団」が創設されて二年半、この間「日本五六七教」が独立し、陰陽二つの独立組織が御神業実現のために補い合いながら発展してきた。 …

熱海の大火

 總斎は「日本浄化療法普及会」「日本観音教団」「日本五六七教」、そして「世界メシヤ教」と続く教団の成長とともに、教団の責任者として忙しい日々を送っていた。組織の名称や形態は変わっても、明主様の御用をさせていただくという姿 …

法難

 先に述べたことでも明らかなように、「世界救世教」に対するいわれなき世俗の疑いは、その頃強大となりつつあったマスコミの影響によって増すばかりであった。それは昭和二十五年五月八日に起こった法難事件で頂点に達したのである。 …

判決

 明主様及び總斎、井上、金子に対する起訴が決まったのは、昭和二十五年七月十二日であった。裁判は同年十月十一日に、静岡地方裁判所において開廷された。これから二年二ヵ月、四十一回にわたる長い公判が開かれていく。結審は昭和二十 …

一布教師として

法難が始まり、しばらくして總斎はその責任のすべてを負い、教団の役職を辞任した。教団はこの機会に新たな組織に改変した。そのため長年培ってきた「五六七大教会」も解散となった。總斎も教団中枢から外れ閑職となった。總斎は改めて布 …

「宝生教会」の設立

 さて、昭和二十七年になって、總斎は明主様にお願い申し上げ、もう一度、世田谷区上野毛の宝山荘を拠点に布教を開始した。そして、總斎は昭和二十七年七月、明主様から「宝生教会」という名前をいただいた。  さらに總斎は明主様から …

遺言のこと

 かつて「日本観音教団」「日本五六七教」の管長を務め、またこの二教団の合併で「世界救世教」と改組されたのちは、教主になられた明主様を支える教主補の一人として、たえず教団の中枢にあって明主様とともに教団を指導・運営する立場 …

浄化

 熱海の桃山台で總斎が倒れたという連絡が宝山荘に入ったのは、昭和二十九年九月九日の午後のことである。  總斎は箱根の大観荘に向かったはずである。しかし、なぜ熱海で倒れたのか。その理由は後になって判った。宝山荘を訪ねたのと …

病状一変

 当初、まわりの者は總斎の恢復を絶望視していた。それは、眼前の總斎の姿と倒れる前の彼の予言とが、恐ろしいほど一致したからである。總斎はこの日の来るのが判っていて多くの者に“遺言”を伝えていたから、みなが總斎の病状に不安を …