真理の具現

 そもそも、宗教の真の目的は何であるかと言えば、言うまでもなく真理の具現である。しからば真理とは何ぞやというと、もちろん自然そのままの姿を言うのである。東から太陽が出て西に沈むという事も、人間は生まれれば必ず死ぬという事も、これは仏説の所謂生者必滅<しょうじゃひつめつ>、会者定離<えしやじようり>という事であり、人間は空気を呼吸し食物を食う事によって生きているという事も、もちろん真理である。こんな分り切った事を言わなければならないほど、人類の現状は出鱈目<でたらめ>になっているのである。

 右の理によって、現在社会万般に捗る混乱、闘争、無秩序、罪悪等の忌わしい事象を見ても、人類が幸福になるよりも不幸になる条件の方が多いことは否<いな>み得まい。とすれば、その原因が那辺<なへん>にありやを考えてみなくてはならない。私の見るところでは、一切の根本が真理に遠ざかり過ぎているからで、それがあまりにも明らかである。ただ真理に遠ざかっていながら、それに気がつかないだけである。しかしながら、それは何が為であろうかをここに検討してみるが、実は現代人は真理そのものさえも分らなくなっている。というのは、生活問題の窮迫<きゆうはく>に真理など考える余裕が無いからでもあろう。尤<もつと>も、肝腎な宗教でさえ、今日まで真理そのものがはっきりしなかった点もあり、真理と思って非真理を説く事が多かったのである。もし真理を真に説き得たとしたら、人類社会は現在よりもっと良くなっていなければならない筈である。あるいは天国楽土がある程度実現していたかも知れないと思う。しかるに天の時来たってここに神意の発現となり、私を通して真理を説諭すると共に、真理の具現を遂行さるる事になったのである。故に私が説くところの諸々の言説は、真理そのものを万人に最も分りやすく宣示する以上、読む人は虚心坦懐<きょしんたんかい>白紙になって熟読玩味すれば、髣髴<ほうふつ>として真理は浮かぶであろう。

 右によって私は最も手近なところから説いてみるが、人間が病気をするという事は、真理に外れた点があるからであり、それを治し得ないという医学は、これまた真理に外れているからである。政治が悪い、思想が悪いという事も、犯罪が殖える、金詰り、インフレ、デフレで苦しむという事も、どこか真理に外れたところがあるからである。もし真理に外れていないとすれば、正しい事は人間の希望通りにゆく筈で、そのように人間社会を神が作られているのである。故に思想的善美な社会も、人間が歓喜幸福の生活者たり得る事も、あえて難事ではないのである。すなわち私が唱える地上天国出現の可能性もここにあるのである。

 このような訳であるから、私の言説には随分違った点があると思うであろうが、実はいささかも違ってはいない。至極当りまえの事である。違っていると思うのは非真理の眼で見るからである。私の説が異説と思えば思うほど、社会の現実が異説的な為である。

 神は人間に対し無限の自由を与えている。これが真理である。人間以外の動植物には限られる自由しか与えられていない。ここに人間の尊さがある。しからば人間の自由とは何であるかと言うと、人間向上すれば神となり、堕落すれば獣となるという両極端のその中間の位置に存在しているからである。この理を推進する時、こういう事になる。それは人間の行<や>り方次第で、この世はいとも楽しい楽苑ともなり、その反対であれば、いとも悲惨な地獄ともなる。

 これが真理である。とすれば、人間は右の何<いず>れを選ぶべきか、考えるまでもなく、先天牲の悪魔でない限り前者を欲するのは当然であろう。

 右のごとくでありとすれば、前者の天国世界の実現こそ、人類究極の目的であり、その目的達成こそ、真理の具現あるのみである。そうして、それが宗教本来の使命である以上、私は常に、筆に口に真理を教え、なおかつ真理の具現者として、日もこれ足らず努力活動しつつあるのである。

「天国の福音書」 昭和29年08月25日

天国の福音書