薬毒に就いて
前項までに詳説した薬毒のいかなるものであるかは、大体分ったであろうが、ここに最も明かな例をかいてみると、もし薬なるものが本当に病を治す力があるとしたら、先祖代々人間体内に入れた薬毒は、驚くべき量に上っている筈であるから、現代の人間は非常に健康になっていて、病人など一人も無い世界になっていなければならないにかかわらず、事実はその反対であるとしたら、ここに疑問が起らなければならないが、全然気付かない迷盲である。何よりも昔から病は薬で治るものとの信念になり切っており、それが迷信となってしまったのである。それが為医学の進歩を嗤<わら>うがごとく病人は増えるばかりで、医師が、看護婦が足りない、病院は満員、ベッドの不足、健康保険、療養所、社会衛生等々、何だかんだの病気に対する対策の繁<はん>なる衆知の通りで、これだけ見れば医学の進歩とは科学的に、微に入り細に渉っての唯物的進歩であるから、治す進歩であって治る進歩でない。学理上治るべき進歩であって、実際上治るべき進歩ではない。こう見てくると現代人の生命は学理の支配下にある以上、もし学理が誤っているとしたら、学理の犠牲になる訳である。その根本は現在の学理は、人間生命まで解決出来るほどに進歩したと信じているからである。実に驚くべき学理の信奉者である。
大恐怖時代来らん
私は二十数年前から、病気の原因は薬毒である事を唱えて来たが、初めの内は中々信じられない人が大部分であったが、信者になって長くなる程徹底するのである。しかしそれも無理はない。何しろ先祖代々病は医者と薬という合言葉同様になっている位だから、一度や二度で掌を返したように分る人は、まずないといってよかろう。それでも近頃は大分判り方が早くなって来たようで、それだけこちらを見る眼が異って来た訳である。しかし前記のごとく浄化が段々強くなる以上、分る人もいよいよ増えるのはもちろんである。というのは医療の固め方法が一日増に固らなくなるからで、それに引換え浄霊の方は溶かす方法である以上、逆になるからで、つまり時節が浄霊に味方する訳である。
自然栽培に就いて
何しろ本農法は、従来の行り方とは全然反対であるから、容易に転向出来ないのも無理はないが、といってこれ程事実が証明している以上、信ぜざるを得ない筈である。以下それ等を一層詳しくかいてみよう。まず我国民が先祖代々長年月肥料を施して来た結果、我国農地全部は汚され切っており、その為土は酸性化し、土本来の性能は失われ、人間で言えば重病人の体質と同様になっているのである。その結果作物は土の養分を吸収する事が出来ず、肥料を吸収して育つように変質化してしまったので、全く麻薬中毒と同様である。ところで今までとても農事試験場や農民の中にも、無肥耕作の試験をした事もあったが、何しろ一年目は非常に成績が悪いので、それに懲りて止めてしまったという話は時々聞くので、この事なども肥料迷信に拍車をかけた事はもちろんである。そんな訳で耕作者は肥料を以て作物の食料とさえ錯覚してしまったのである。事実自然栽培にした最初の一年目は葉は黄色く、茎は細く余りに貧弱なので、付近の者から嘲笑慢罵、散々悪口を叩かれ、中には忠告する者さえある位で、もちろん肥毒の為などとは夢にも思わないからである。ところが栽培者は信者である以上絶対信じているので、辛い我慢をしながら時を待っていると、二年目、三年目位からようやく稲らしくなり、収穫は増えはじめ、しかも良質でもあるので、今度は嘲笑組の方から頭を下げ、自然組の仲間に入る人達も、近頃メッキリ増えたという事である。そうして肥毒が全くなくなるのは、まず五年はかかるとみねばなるまい。その暁私が唱える五割増産は確実であって、これが六年となり、七年となるに従い、驚異的増収となり、やがては十割増すなわち倍額も敢えて不可能ではないのである。というのは分蘖<ぶんげつ>は倍以上となり、しかも穂に穂が出るのでそうなったら倍どころではない、一本の茎の実付き千粒以上にもなろうから、到底信ずる事は出来ないのである。
次に栽培法について誤謬の点が相当ある様だから、ここにかいてみるが、本教信者になって私の説を読んだり聞いたりしながらも、素直に受入れられない人もあるが、何しろ先祖代々肥料迷信の虜となっている以上無理もないが、この際それを綺麗サッパリ棄ててしまい私の言う通りにする事である。それについても種子であるが、報告中にある農林何号とか、旭何々などとあるが、これは何等の意味をなさないので、自然栽培においては一般に使う種子なら何でも結構である。つまり肥毒さえ抜ければ、どんな種子でも、一級以上の良種となるからである。要は肥毒の有無であって、信者中から何年か経た無肥の種を貰うのが一番いいであろう。その場合種子も近い所程よく、県内位ならいいが、相当離れた他県などでは成績が悪いから止した方がいい。それと共に土の肥毒であるが、肥毒が無くなるにつれて快い青色となり茎は固くしっかりし、分蘖も数多くなり、毛根も増え、土深く根張るから倒伏も少なく、それらの点でよく分る。
霊界の現在
それから二、三日たった十四日の夜、又、姪が参りましたので淨霊させて頂きましたところ、娘のよし子が憑りました「再教習御礼はもう中教会まで行き、明日から布教に出ることが出来ます。神様よりお許しを戴いて御礼に参りました」と言って一時間ほど、頭を少しもあげず涙を流してよろびました。「今日こうして先祖が列を列をつくって送って下さいました。本当にありがとうございました」と言って帰って行きました。日頃、順序ということを教えられていまずが、神様に私のようなもののところへでもきちんと御礼に来させられるのかと非常に感激しました。
病気が治ればいい
これを一層分りやすく言えば、もし医学で病気が治るものなら、医師の家族に限って普通人より健康であり、医師自身もズバ抜けて長生きでなくてはならないはずである。ところが事実は一般人とわずかも変りのないのはどういう訳かを訊きたいものである。又薬で病気が治るものなら、先祖代々人間の体内にはどの位入っているか分らないばかりか、今日のごとく新薬に次ぐ新薬が出来、飲む外に注射までして入れる以上、病人はなくなり、医師も薬屋も飯が食えなくなり、廃業してしまったはずである。ところが事実はどうであろう。益々病人は増え、無医村が沢山あるといって零し、病院は満員、療養所はベッドが足りない、新聞の広告欄は薬が一番多いという皮肉な事実を見たら一言もあるまい。従って私の説のごとく薬が病気を作るというのは事実が証明している。
墳墓の奴隷?
この題を見た人は、随分変った題と思うだろうが、よく読んでみれば、なるほどと合点がゆくはずである。というのは旧い思想や、かびの生えた文化を後生大事に有難がっていて、捨て切れない人の事を曰ったのである。御承知のごとく人間というものはどうも先祖代々守って来た伝統や習慣から、中々抜け切れないものである事は誰も知る通りであるが、こういう人こそ墳墓の奴隷といいたいのである。日進月歩の今日そういう思想の持主こそ、時世後れで敗残者になるのは事実がよく示している。この例を大きくしたものが、かの米国と英国の現在であろう。
墳墓の奴隷?
この題を見た人は、随分変った題と思うだろうが、よく読んでみれば、、なるほどと合点<がてん>がゆくはずである。というのは、旧<ふる>い思想や黴<かぴ>の生えた文化を後生<ごしよう>大事に有難がっていて、捨て切れない人の事を言ったのである。御承知のごとく人間というものはどうも先祖代々守って来た伝統や習慣から、中々抜け切れないものである事は誰も知る通りであるが、こういう人こそ墳墓<ふんぽ>の奴隷と言いたいのである。日進月歩の今日、そういう思想の持主こそ時世後<おく>れで敗残者になるのは事実がよく示している。この例を大きくしたものが、かの米国と英国の現在であろう。
哲学の学び
従って、この理を人間に当嵌めてみる時、こういう事になろう。何かの事にブツかった時、去年の見方も考え方も、今のそれと違っていなければならない。大きく見れば終戦前と終戟後とはまるっきり違っているではないか。僅かの間に驚異的である。処が多くの人は、何百年前のやり方や、何十年前の考え方が、先祖代々から棒のように続いているから 的確に現在を把握する事が出来ない。これを称して封建とか、旧い頭とか言うのであろう。つまり一切が流転しているのに、ご自分だけは泥水のように停滞しているからで、こういう人こそ世の中から置き去りを食ったり、不幸な運命となるのである。」(『天国の礎』合本・三七〇頁~三七一頁)
商品の開発
当時、東京の小間物の卸問屋には、西沢、小川、宮本、羽根繁といった有名な老舗(先祖代代続いた信用のある店)があり、激しい競争が展開されていた。そのなかにあって岡田商店は、ときには新店の悲哀を味わいながらも、研究に研究を重ね努力を続けているうち、しだいに頭角をあらわし、やがて業界のトップに躍り出たのであった。
神霊研究に没頭
「俺はこの家の四代前の先祖の弟だ。」