東方の光

北槇町のころ

 「旭ダイヤ」の爆発的な売れゆきによって、それまで使っていた建物はいかにも手狭なものになった。住居と店が一つではなんとしても不便である。できあがりの製品を置く場所もない。出入りの職人の控室もない。そのうえ、母・登里や妻・ …

映画館経営

 ごく初期のころから熱心な映画ファンであった教祖は、ある時期に映画監督になろうと思ったことがあった。しかし、当時の日本映画はまだ、技術的にも未熟な揺籃期〈ようらんき〉にあり、優れた作品が作り出される土壌がなかった。そこで …

無償の愛

 岡田商店は、追風を帆の背いっばいに受けて、順調に船旅をする人生航路そのものであった。順風満帆とはよく言ったものである。商品は作るそばからどんどんさばけるし、資金繰りもうまくいっている。作ること、売ること、いっさい万事が …

正義感

 若いころから晩年にいたるまで、教祖の一生を貫いて変わらなかったその性格はどのようなものであったか、また、その根底となっている信念はなんであったかを考えることは、教祖を理解するうえにきわめて大切である。また、教祖その人を …

取り引き銀行の倒産

 父・喜三郎の遺産をもとに、明治三八年(一九〇五年)小間物屋を始めてから一一年たった大正五年(一九一六年) のころ、教祖はすでに一五万円の資産を有していた。その後、旭ダイヤの収益で財産は年を追って急速に増加した。しかし、 …

妻と子の死

 明治四〇年(一九〇七年)、岡田商店の発足後間もないころに岡田家に嫁いだタカは、大鋸町に自宅ができるまでの、およそ一〇年というもの、家事を切り回し、店員の世話をし、店の仕事を手伝って教祖を助けた。結婚後一年目に結核になっ …

再婚

 大きな店を取り仕切るとなると、目に見えないところで大変な苦労がいる。旭ダイヤの工場の女工やおかかえの職人を合わせると、一〇〇人を超える人々との公私にわたるさまざまな付き合いがある。商売上の客が大町の自宅をたずねることも …

救いを求めて

 このように再婚によってまず第一に家庭生活に落ち着きを取り戻した教祖は、事業の再建に全力を尽くした。したがって実業家としての生活は表面的には変わることなく続けられたのである。しかし、家族との死別や事業の危機といった数々の …

株式会社設立

 すでに記したように、吉川の不手際により借財ができると、教祖はただちに店の再建に着手した。第一の急務は資金の工面であった。商いが回転していくためには相応の余剰資金がいる。はいる金は遅れることがあっても出る金は待ってくれな …

経営挫折

 株式会社・岡田商店の新しい門出は容易なものではなかった。大正九年(一九二〇年)三月、ァメリカに端を発した恐慌が世界中を襲い、日本においても株価は暴落し、物価も急落して経済界は大混乱に陥ったからである。企業の倒産が相次ぎ …