東方の光

献上

 教祖のもとへ面会に来る信者は、さまざまな品物を持参して教祖に捧げることが多かった。米や芋、豆類から野菜、魚類、果物、菓子など、いずれも苦しみから救われたことに対する感謝の心から捧げられた品々である。そこには、  「これ …

愛の浄霊

 すでに記した通り、警察の不当な弾圧により起こった第二次・玉川事件を契機として教祖が第一線を退いたのは、昭和一五年(一九四〇年)一二月のことであった。それから五年後の昭和二〇年(一九四五年)の終戦以来戦、戦時中のような官 …

浄霊法変わる

 浄霊はこうした教祖の心を体した信者によって、全国に救いの輪となって広がっていったのである。  昭和二五年(一九五〇年)、教祖は、それまで相手の身体に触れつつ行なっていた浄霊法を、身体に触れず、一定の間隔(基本的には約三 …

単行本

 教祖の執筆活動は立教のころにまでさかのぼる。思想や言論が統制を受ける時勢にあって、教祖自身の全行動は当局の厳しい監視下に置かれ、間もなく具体的な宗教活動も禁止されてしまった。したがって、たとえ論文を書いても、思うように …

歌集

 数多くの論文とともに、教祖はまた、その生涯に約五五〇〇首の和歌を詠んでいる。その中には叙景歌あり、叙情歌あり、教えを詠んだものありと、その範囲はすこぶる多岐にわたっている。これらの歌には祭典のおりに、「讃歌」として奉唱 …

機関紙

 昭和二三年(一九四八年)の『信仰雉話』の発刊後間もなく、月刊雑誌と週刊新聞(後に旬刊に改める)が発行された。これらはともに、「日本観音教団」として出発するにあたって、その機関紙として発刊したものである。月刊雑誌は『地上 …

口述

 執筆された論文は、教祖みずから直接に説いたものである。しかし教祖自身は神の代行者としてこれを説くという、厳然たる姿勢でのぞんでいた。したがって、教えは神の言葉として特別な取り扱いをし、教祖自身それを「神書」 と呼んでい …

活字による浄霊

 文章を書く心構えについて、教祖は大要つぎのように書いている。  「およそ、文章というものは、書く人の想念が文字を通して、読む人の想念に反映するものである。したがって、私が神意のままに書いた文章は、霊的には、読む人に神の …

筆だこ

 救世の神業を始めて以来二十余年、教祖みずから揮毫した書画は厖大な数量に達する。その間、教祖は一貫して並々ならぬ情熱を込めて筆を揮った。  教祖の書を専門の書家が賞賛したことはすでに触れたが、そうした芸術的な価値をもつと …

新案「墨すり器」

 このような大量の揮毫になると、そのために墨をするのが大変だった。何しろお守り五〇〇枚を書くのに、大きな丼一杯の墨を必要としたのである。しかも、墨汁のようなできあいのものではなく、必ず硯ですった墨が使われたのである。とこ …