(19) 散花結実

神定めの浄化

 昭和二九年(一九五四年)四月一四日、教祖は七回目の関西巡教を終えて熱海へ帰ったが、その翌日から一七日までの三日間、長旅の疲れも見せず、咲見町仮本部において信者との面会を続けた。おりしも、関西巡教出発の前日の四月九日から …

メシヤ降誕仮祝典

 こうしたさなか、教祖の肉体に、神秘な変化が起きた。  その一つは、教祖の左の掌に五本の筋が現われたことである。その一本一本の指に、指先から付け根まで、五本の縦皺が鮮やかに刻まれていた。  あまりの不思議さに、側近奉仕者 …

水晶殿と光の柱

 すでに記した通り、水晶殿の建設は昭和二九年(一九五四年)九月一七日に着工、教祖がその完成を急いだので、突貫工事が行なわれ、三月足らずのうちに、つつじ山を見おろす景観台の上に、半円形の独特な建物が完成したのである。    …

待望の藤壷

 立春祭から三日後の二月七日は、前年一一月、箱根から戻って以来の浄化の中でももっとも強い浄化があり、激しい苦痛に見舞われた。教祖は終日、床について静養した。しかし翌八日、浄化が幾分弱まり、気分も好転すると、瑞雲郷に行くと …

衝撃の知らせ

 二月八日の夜、喜びをもって眠りについた教祖であったが、夜遅くなって身体に変調を生じ、よく眠ることができないまま寝苦しい一夜を過ごした。そして迎えた翌九日の昼食後のことである。  教祖は箱根、熱海の造営や箱根美術館別館の …

涙の奉仕

 教祖の昇天という予想だにせぬ重大事を迎えた教団は、その夜、緊急役員会を開き、教祖の遺志に従って、よ志を二代教主に推戴した。また衆議の結果、墓所祭を二月一七日と決め、箱根・神仙郷内に奥津城を建設し、教祖の遺体を埋葬するこ …

葬送

 二月一七日、午前二時、奥津城の建設現場は最後の追い込みで、氷点下の冷え込みにもかかわらず熱気が渦巻いていたが、一方、熱海・碧雲荘では、紅梅、白梅が夜の闇に浮かび、芳香が静かに漂う中、おごそかに柩前祭の儀が執り行なわれた …