渋井総斎伝 御用の人

浄化

 熱海の桃山台で總斎が倒れたという連絡が宝山荘に入ったのは、昭和二十九年九月九日の午後のことである。  總斎は箱根の大観荘に向かったはずである。しかし、なぜ熱海で倒れたのか。その理由は後になって判った。宝山荘を訪ねたのと …

病状一変

 当初、まわりの者は總斎の恢復を絶望視していた。それは、眼前の總斎の姿と倒れる前の彼の予言とが、恐ろしいほど一致したからである。總斎はこの日の来るのが判っていて多くの者に“遺言”を伝えていたから、みなが總斎の病状に不安を …

總斎の帰幽

 そして、ついに十七日を迎える。  二代様の熱海ご到着は当初午前六時半を予定されていたのだが、なんと、事放のため列車は東京・沼津間で不通となり、ご到着は午後一時過ぎになるというではないか。病床の總斎は相変わらず大勢の信徒 …

御供仕え

 この五月の夕暮れの中に、嘉丸は不思議なものを見た。いや、見せられたといった方が正しい。それは嘉丸だけになされた、總斎の最後の教えだったのかもしれない。  嘉丸は二階の廊下の藤椅子に腰をおろした。彼は今日という日を永久に …

五月十九日に密葬。

 そして、昭和三十年五月二十一日、渋井總斎の葬儀が、自ら信徒の宿泊施設として建てた熱海・咲見町道場で執り行なわれた。午前中の明主様百日祭に続く悲しみの儀式である。渋井總斎の功績を讃える世界救世教の教団葬であった。二日前の …

渋井總斎 年譜

明治一九年(一八八六) ・三月二二日 埼玉県北埼玉郡村君村字名 (現、埼玉県羽生市大字名)で父倉次郎、母せいの四男として生まれる。  大宮、堀之内の城主渋井越前守、江戸中期の佐倉藩儒者、渋井大室の後裔 明治中頃  村立小 …