第1章 御用の人

開拓布教

「先生! あぶない」  進藤玉枝の前を歩いている總斎が鉄道のレールに足をとられ倒れそうになった。深夜、ここは水戸市内の鉄道線路の上である。新宿・角筈の治療所で“下浄霊”を預かる進藤が、總斎といっしょに何故こんなところに、 …

拠点づくり・人づくり

 出張浄霊の話は、水戸だけにとどまらない。昭和十六年三月頃のことであるが、ある時、卵巣嚢腫に苦しむ主婦が宇都宮にいるので出張浄霊をしてほしい旨の依頼が舞い込んだ。患部が相当に悪化しており身動きもできない状態だという。これ …

弟子の派遣

 地方布教は、この見えない糸をいかに全国に張り巡らせるかということである。このことに總斎は腐心した。  今日までの世界救世教の発展史を考える場合、明主様の教え、浄霊の素晴らしさが、いかにして全国の各地に伝えられていったか …

布教の“力”

 布教の最前線に立っていた直弟子たちに範を垂れるべく、總斎自身も積極的に毎月地方に出向き、また、地方の幹部の要請に応えて講習会に飛び回っている。そして、總斎が出向いた地方では、信徒がまさに爆発的に増加した。各地で總斎によ …

布教の前線で

 總斎は戦中、戦後にわたって自らが布教の最前線で働いていた。そしてこの間さまざまな奇蹟を現し続け、奇蹟を現す“力”と人を動かす“力”の相乗作用が、各地での爆発的な入信者数につながったのである。奇蹟を現す力のみならず、その …

埼玉県越谷での浄霊

 中根孝次によると、初めて總斎が埼玉県越谷市での「渋井式指圧浄化療法」の講習に出向いたのは、終戦後間もない昭和二十年八月二十日のことであった。講習所は越谷駅から八キロの道のりで、乗り物の便がまったくない当時、リヤカーで總 …

總斎の布教魂に学ぶ

 新宿時代の總斎は、だいたい夜七時頃まで浄霊を求める人たちのために多忙をきわめていたが、さらにそのあと水戸、宇都宮、横須賀など東京近郊に出張することが頻繁にあった。そして、翌朝帰宅するのだが、帰れば帰ったで浄霊を求めるた …