總斎の布教魂に学ぶ

 新宿時代の總斎は、だいたい夜七時頃まで浄霊を求める人たちのために多忙をきわめていたが、さらにそのあと水戸、宇都宮、横須賀など東京近郊に出張することが頻繁にあった。そして、翌朝帰宅するのだが、帰れば帰ったで浄霊を求めるたくさんの人が待っているため、休む間もなく取りかからなければならない。このような生活は新宿時代に限らず、宝山荘、宝生教会時代を通じて変わらなかった。これで体が持つのかとまわりの者は心配するのだが、總斎はこの激務をむしろ楽しんでいるかのようであった。俺がやらねばといった気負ったところは微塵もうかがえなかったという。

 その上、さらに月に数回は明主様のお屋敷に出かける。明主様の側近の話だが、お屋敷に出かけた場合、明主様と膝つきあわせての話になることが多く、昼過ぎから話が始まり、時には徹夜になることも珍しくなかった。夜になると部屋の電灯を低く下げ、その電灯の下で明主様と總斎の頭がつかんばかりに懇談されていたという。ある時、話に熱中しすぎてお互いの頭をぶつけてしまったこともあると伝えられている。いかに熱のこもった話し合いが行なわれていたかをうかがうことができよう。しかし残念ながら、この二人の話の内容はほとんど伝わっていない。

 さて、總斎の持論は、
「よく寝過ぎると頭がぼけてしまって駄目になる。あまり寝ないほうがよい。頭は使えば使うほど冴える」
 というのだが、余人にはまねのできないことである。

 明主様との間で持たれた頻繁な会談でも、地方布教のあり方が論じられていたのではないかということは想像に難くない。地方への布教とその拠点づくりに関しても、それが明主様のご指示だったのか、總斎の発案だったのかは今ひとつはっきりとしていないが、總斎から明主様に申し上げ、明主様の賛意を得て活動したといわれている。二人の間に頻繁に会談が持たれたこと、明主様が全幅の信頼を總斎においていたことからして、明主様と總斎の意志や想いはほとんど同一であったと考えてよいであろう。本書では主として總斎の事績として述べているが、これは、とりもなおさず明主様のなされた事績でもあった。

 總斎の布教開拓の素晴らしい決断力と行動力は、總斎を知らない人には到底想像もつかぬことであろう。しかし、ここで紹介しているエピソードには何ら脚色はない。これはこのまま真実なのである。

 ところで、この總斎の行なった事績に私たちは何を学ぶべきなのだろうか。もちろん總斎の偉大な事績を私たちがまねすることは不可能である。私たちの一人ひとりが總斎になることなどできない。しかし、常に明主様を求め總斎に近づこうとする努力は忘れてはならないのである。もし私たちがそれぞれ總斎の誠、行動力、決断力の万分の一を持ち合わせたとして、それがまとまって大きな力となった時、明主様のみ教えを今以上に弘め、教勢を増すことは可能なのだ。
 總斎と同じ時代に生きて、總斎と話をし、總斎の浄霊を受け、生きた總斎に触れた教団の多くの先達たちは、總斎に近づきたい、總斎の行なったように明主様の御用をしたいという一心で布教に専心してきた。今この時代に生きる私たちも、この總斎の布教魂を甦らせ、それに少しでも近づこうとする努力を忘れてはならないと思うのである。