先祖供養の浄霊

浄霊による救済は生ける者だけに向けられたものではない。その患者に憑いた霊を救うための浄霊でもあった。總斎の行なう浄霊を受けた者の中では、脊椎カリエスの浄化で苦しんだ者が多い。これは、ご神縁に結ばれ、そののち教会で御用をさせていただくことになった信徒の話である。

 總斎から親しく浄霊をしてもらうこともあったこの信徒は、諸先輩よりも、自分の方が浄霊をいただく時間が長く、そのためまわりの人から羨ましがられることになった。そのことを總斎に伝えたところ、總斎は優しく微笑みながら、 
「私はあなたに対して浄霊をしているんじゃないよ。あなたに憑いている霊を救うために特別に浄霊しているんだから、そんなことを心配しなくてもいいんだよ」
 と、優しく包むように答えたという。

 事実、總斎が治療を始めると、患者の中には石仏のように体が硬直して涙を流し、ものが言えなくなる人、何とも名状しがたい奇声を発して泣き出す人、手足をばたばたさせて暴れる人、あるいは急に人が違ったようにべらべらと意外な話をしはじめる人も出た。總斎はそういった人びとに憑いている霊と話をし、その霊を諭したり、またこの世に残した思いやその願いを聞いたりすることもたびたびであった。それによってその患者の本当に病んでいる部分を癒していた。

 このような場合、患者の先祖の霊が憑いている場合が多いという。總斎が直接祖霊を浄霊によって救うこともあるが、信徒自身が御用をすることによって祖霊を救い、その結果自らを救うこともあるのである。

 昭和十九年の受講以来、親しく總斎に師事するようになった堀籠悦子は、昭和二十一年の一月二十八日に起こった小田急電鉄の脱線転覆事故に遭遇した。多くの死者や怪我人を出した大事故にもかかわらず、転覆したこの電車に乗り合わせた堀籠は無傷であった。

 翌日宝山荘にお礼に行ったところ、總斎も事故のあったその時刻には、小田原から宝山荘に帰る途中であった。總斎は、大磯から包帯を巻いた人がいっぱい乗ってくるので、これはたいへんな事故だと思っていたが、あとで新聞を見てびっくりしたという。しかし、まさか堀籠が乗っているとは思わなかったのである。

 堀籠は事故の時、“自分が無傷で助かったのはやはり霊が高かったから”と内心思っていた。
「まあ、ほんと、無事でよかった。ここへ来なさい。浄霊してあげるから」
 總斎は堀籠の話をニコニコと聞いたあとで浄霊を始めた。しかし、それが終わって礼を述べて出ようと思ったその後ろ姿に、總斎は、
「堀籠さん!」
 と呼び止めた。堀籠は突然体が硬直するのを感じた。
「霊が高かったら、そんな事故を起こすような電車には乗りませんよ」
 心の中で思っただけで、口に出して總斎に言ったわけではない。しかし總斎にはすべてお見通しであった。
「普通の人は、首が転がった、腕が転がった、そんなものを見る人は少ない。あんたの先祖は全部下へ落っこっている。だから、これからの一生は人のために尽くさなきやいけない。この世で幸せになろうとは思うな」 
 と、今までの笑顔はどこへやら、突然厳しい顔で堀籠を諭した。總斎は心の中を見抜くだけでなく、先祖のことまで見通していたのである。

 總斎はご先祖のことに関しては、献上品の意味について触れながら次のように説明している。当時はご参拝の時、どの信徒も玉串料のほかに、それぞれ献上品を必ず持っていくのが習いであった。總斎は、「玉串料は自分が神様に差し上げるもの。献上品とは、神様に対して祖先からの手土産として差し上げるものだ。しかし、先祖も子孫の肩に乗って参拝が許されるのだから、明主様にご面会の時は先祖にも『おひかり』をいただかせるために、先祖も一緒に参拝してくださいと仏様に挨拶して出かけるとよい。その時、献上品を持参して受付に先祖から神様へのお土産ですと届けると、先祖も神様に差し上げることができるわけだから、それだけ喜びの中で『おひかり』がいただけるのです」 
 と述べて、總斎自身も土地の特産品、珍しい物、初物など次々とご神前に献饌したという。これで先祖も大手をふって参拝できることになるのである。

 神様への礼節が先祖への供養ともなる。御用という明主様へのご奉仕と、神様への献上品が、先祖を救い、ひいては自分自身をも救っていくというのである。
 また次のような体験談もある。

 ある婦人が浄化して渋井先生のところへ案内されて来た。先生は、
「あの人は駄目ですよ」
 と、おっしゃる。理由を尋ねたところ、
「あの人は神様に対して感謝がないから駄目です」
 と、言われた。その方は一週間後に帰幽した。
(この体験談の詳細は渡辺勝市著『信仰百話』参照)

 また当時の信徒の話によると、小田原別院へ参拝の時は、先生にお土産を心を込めてお届けした。金欠病の私どももそれなりに心を使ったが、受付奉仕の人びとが記帳しては渋井先生に報告申しあげていたが、先生はその報告を聞いてはいちいち頷かれて、時には挨拶をされながら右側と左側とに分けて置かれる。左側に置かれたお土産は奉仕者が奥の方ヘどんどん運ぶが、右側のはそのまま置かれている。私が先生が右側と左側に分けられる理由についてうかがうと、
「左側のは信徒が真心込めて持参した物、右側のは義理や体裁、貰い物のたらい回しで、心のこもってない物ばかり、中身を見るとよく分かるよ」
 とのことであった。先生の霊感の鋭さ、怖さ、尊さを知り“信仰とは誠の一字なり”と諭され、感銘すると同時にその言葉が心にしみ込んだ。(布教師) 
(『口伝 渋井總斎』)