キーワード:「キリスト」

裁く勿れ

 それだのに何ぞや、本教信者でありながら、世間並の小乗的考え方がまだ幾分でも残っているとしたら早く気がつき、頭を切替えて、本当の救世教信者になって貰いたいのである。そうでないと段々浄化が強くなるにつれて、神様の審判も厳しくなるから、いよいよとなって臍を噛んでも追っつかないから、改心するなら今の内と言いたいのである。大本教の御筆先に「慢心と取違いは大怪我の因であるぞよ」という言葉が、繰返し繰返し出ているが、全くその通りである。又キリストの「汝人を裁く勿れ」の一句も同様である。要するに人の善悪よりも自分の善悪を裁く事で、他人の事などは無関心でいる方が本当である。

S28栄光

墳墓の奴隷?

 その他の国としては、西洋ではエジプト、ギリシャ、ペルシャ、スペイン、ポルトガル、東洋でインド、中国、朝鮮等も同様の運命を辿って来た。この原因こそ華やかであった時代の夢醒めやらず、それが進取的観念の邪魔になって、遂に今日のごとき弱国化したのであるから、この墳墓の奴隷観念がいかに災するものであるかは、右のごとく歴史が物語っている。なおかつ宗教といえども例外ではない。その最も著しいのが仏教であろう。仏教生誕地のインドが現在の信徒三十数万人というのであるから、ちょうど千人に一人の割合で事実は滅びたも同然であろう。又中国などはほとんど仏教の蔭だにないとの事であって、只わずかに日本において命脈を保っているに過ぎない有様である。次にキリスト教であるが、これが最も旺んであったのは中世紀頃で、何しろ裁判権まで握った位であるから、他は推して知るべきである。それが科学文化の影響もあって、今日は形式的存在でしかないのも衆知の通りである。

S28栄光

病人氾濫のハワイ

 何しろ知っての通り、今日同国が医学の進歩を誇示し、唯物的方法、諸般の施設等々、至れり尽せりで、特に近来のごとく新薬の続出、手術の進歩等にみても、同国人の健康状態は非常な速度を以て悪化しつつあるのは想像に難からないのである。一方霊界は日に日に明るくなりつつあり、浄化はいよいよ旺盛となる以上危機は刻々迫り、最後に到ってはどうにもならない事態となり、病に斃れる<たおれる>者数知れずという一大恐怖時代が出現するのはもちろんである。しかし今日この様な事を曰っても、私の頭脳を疑いたくなるだろうが、私は確信を以て今から警告するのである。故に万一私のいう事が的中したとしたら、第三次戦争どころの騒ぎではない。キリストの曰った世の終りはいよいよ来たと思う事になろう。

S28栄光

世界救世教奇蹟集 結論

 私は以上のごとく百二十に上る色々な奇蹟の実例を載せたが、これを見たらいかなる人でも驚異の眼を瞠<みは>らない訳にはゆくまい。一言にしていえば、これこそ最高神威の表現であり、空前の救世的福音である。なるほど小奇蹟は昔からその時代時代の宗教によって示されている事は、文献等によっても明らかであるが、これ程超奇蹟が数多く、しかも普通人でも短時日の修得によってその力を与えらるるとしたら、この事自体が已に大なる奇蹟である。すなわち凡人でありながらキリストと同様の奇蹟を顕わし得たり、何等医学の素養のない者でも、医学博士以上の治病力を発揮出来るとしたら、到底真実とは思えないであろう。ただ私が憂慮する点は、私という人間を通じて行われる以上、余りの不可解さに反って一種の疑問が起り、躊躇逡巡する人もなきにしも非ずと思うからである。

 次にこの著を読んだ人々が、最も知りたいと思う事は私という人間の本体であろう。私といえどもこれを詳しく知らしたいのは山々だが、時期尚早のため今しばらくは発表出来ないのが遺憾である。そうして特に言わねばならない事は、客観的にみてこれ程偉大な神力を発揮されるとしたら、救世主以外にない事は推察されるであろう。これについては昔から俺は救世主なりと自分自身そう思うのかも知れないが、堂々と名乗りを挙げた者も幾人かはあったが、いずれも一時的で、いつしか消えてしまったのは知る人は知っているであろう。しかもキリストの予言にもある通り、後世偽キリストが現われるから注意せよとの警告さえあったほどで、今日ではもはやそれに惑わされる者は一人もあるまいから、今更自分は救世主などと言ったところで仕方がないであろう。

 しかも文化の進歩した今日智性の発達した現代人に向っては、ただ嘲笑を買うのみにすぎまい。しかしながら厳乎たる事実を見せられるとしたら、何人といえども信じない訳にはゆくまいし、私が現わす奇蹟そのものは、いかに冷静に見てもメシヤ的価値は充分認め得る筈である。この意味において私を以て救世主又は再臨のキリスト、下生の弥勒としても敢て不思議はないと思うが、それはその人の自由に委せるとして、最後に到れば万人に分る筈である。それは世界人類は私の救いによって真の幸福を得られ、欣喜雀躍<きんきじゃくやく>はもちろん、既成文明は百八十度の転換となり、病貧争絶無の地上天国はいよいよ出現の順序となるからである。

S28地上天国

正邪の戦い

 これは誰も知っている事だが、昔から宗教というものは、いつの時代でも初めどこか普通人と違ったところのある人間が、一念発起と共に世を救わんとの願望から一宗一派を立て、教義を作り、相当人助けをしてる内、ようやく世間から認められ、いよいよこれからという時になると、必ずと言いたいほど妨害が現われる。この大きい例が釈迦に提婆、キリストにサタンとして誰も知っているが、しかもその宗教に力があり、将来性があればあるほど、排撃弾圧も酷いのである。そこで彼等はまず時の権力者を動かし、世人に憎悪感を起させるべく、巧妙な理屈やデマをデッチ上げ、宣伝これ努める。曰くアノ宗教は人を瞞し、遂には家をも亡ぼすような恐ろしい迷信であるから、決して触れてはならないというように思わせる。もちろん調べもせずして独善的に決めてしまい、社会的信用のある人士や、一流の言論機関等を扱う人を自由にするのも、皆邪神が憑依しそう思わせるのであるから、御本人は一向気がつかず、自己意識と思っていると共に、一般人にも邪神の仲間が憑依し、両者相呼応するのだから堪らない。これが邪神の仕組である。

S28地上天国

正義感

 以上の理によって、正義感を基本としなければ幸福を捕える事は絶対出来ない、という訳で悪ほど損なものはないのである。私は「愚かなる者よ、汝の名は悪人なり」と常に言っている位で、この理が分りさえすれば、今からでもすなわち幸運街道驀進<ばくしん>者となるのである。但しこれには一つの条件がある。それは単に正義といっても二通りある。一つは個人の利益を本意とする小正義と、社会国家を主とする中正義と、そうして世界人類を主とする大正義とである。ところが小と中は真の正義ではなく偽正義であり、大正義こそ真の正義である。例えば親に孝、君に忠は、煎じ詰めれば利己本位である以上偽正義である。この間の戦争にしても、日本が負けたのは日本だけの利益を主とした偽正義であったからで、どうしても世界全体の利益を目的とする大正義でなければ、永遠の栄えを齎す事は出来ない。これが真理である。もちろん宗教にしても同様な事が言える。かの仏教やキリスト教のごとき大宗教が、今日衰えたというのは、大正義に見えても実はある程度の欠陥があったからで、それが今まで分らなかったのである。

S28栄光

浄霊は科学療法なり2

 以上のごとく火主水従の霊気界、水主火従の空気界の両素が渾然融合し大気界が構成され、この地球を囲繞<いじょう>しているのであって、五感で分る一日の昼夜なるものは、言わば体的昼夜であって、これとは別に時間を超越した霊的昼夜のある事を知らねばならない。これこそ最も重要な意義であり、宇宙の大神秘である。すなわち現界の昼夜を無限大に拡げたようなもので、空と同様であるから人間には分らないが、しかし規則正しく流転しつつある。しかもそれが十年に、百年に、千年、万年といったように大中小になっている。その一期間は三、六、九合計十八になっており、これが宇宙の実相である。かの釈尊が唱えた五十六億七千万年後ミロクの世が来るとの説は、文字通りとすれば、余りに長過ぎて実際上無意味であるのは、全く右の数字を示唆したに外ならないのである。そこで前へ戻るが、今までの夜の世界は月の主宰であり、月は水であり体であるから、物質文化が発展したのであるが、それに反し昼の世界は日の主宰で、日は火(霊)であり、精神的である。又これを善悪に別ければ体が悪となり、霊が善となる。これが真理である。従って今までの世界は悪主善従であったのが、今度は善主悪従の文明世界に転換するのである。つまり悪主善従の為現在のごとき地獄世界が生まれたので、これが長く続くとしたら、結局人類の破滅にまで及ぶのはもちろんで、かの原子爆弾の発見もその一つの示唆に外ならないのである。このように神の経綸の深奥なる到底人智などで窺知<きち>し得られるものではない。以上によって世界の今後の動きは略々分ったであろう。彼のキリストの曰った世の終りと、そうして天国は近づけりとの予言もこれであり、私の宣言する病貧争絶滅もその基本的条件である。その又基本が病気の解消であるから、神はこの鍵を私に与え給うたので、私は現在病の解決を主眼としているのである。

 ここで今一つの重要事がある。それは前記のごとく物質文化発達の途上長年月に亘って犯した悪主善従による罪穢の堆積である。これを人間に就いていえば、体的には薬毒であり、霊的には悪による曇りである。これが霊界における火素の増量によって、浄化作用も旺盛となり、最後は決定的清算が行われるのである。これが又キリストの曰った最後の審判でもあるとしたら、この難関を切り抜けなければならないが、それに失敗したら何人を問わず永遠の滅びとなるのである。この事は今私が唱えるのではない。已に幾多の聖者、賢哲が幾千年前から予言された事であって、これを信ずる信じないはその人の勝手だが、私は信じられる証拠としての奇蹟を現わしつつある現在、何等疑うところはないはずである。

S29栄光

序文 救世教とは何ぞや

 以上のごとくであるから、根本としては長い間眠っていた有神思想を呼び覚ますことであって、これが容易ではない。何しろ文化民族の大半は科学に魂を奪われ、神を無視して来た今日、この魂を揺り動かすとしたら、実に驚異的超人力によらねばならないからで、これによって神の実在は確認されるのである。その方法としては奇蹟より外はないので、本教に奇蹟の多いのもその為である。もちろんこの力こそ主神から伝達される絶対力であるから、いかなる無神主義者といえども、有神思想に転向するのはもちろんであって、ここに精神文化興隆時代に入るのである。その結果、跛行的文化は是正され、真の文明世界実現と共に、人類の最大苦悩である病気、貧乏、争いの三大災厄は根本的に解決されるのであって、その為選ばれたのが私であって、このことは今改めて言うのではない、昔から幾多の聖者賢哲が予言されたところであり、只その時期が到来したまでである。かのキリストの天国は近づけり、釈尊の弥勒下生、天理教教祖の甘露台の世、大本教教祖の松の世、日蓮の義農の世、ユダヤ教の救世主降臨等々もそれであって、これについての注目すべき一事がある。それは右は全部予言であって、実現性はない事である。しかるに私はこの地上天国を現実に樹立するのであるから、その実行者であり、各聖者の予言の裏付着でもある。というと、その言の余りに誇大なるに驚歎するであろうが、この言を発する私としては、いかに確信に満ちているかが窺われるであろう。それというのも、主神は私に対して目的達成に必要なあらゆる智慧と能力を付与せられ、しかも超人的神力をも授け給うたのである。そうしてこの神力なるものは人類の経験上未<いま>だ嘗<かつ>てなかったものであるから、到底想像は不可能である。現在私はこの力を自由自在に行使し、無数の奇蹟を現わしている。故に一度本教信者となるや、いかなる人でも直ちにこの福音に浴す事が出来るのである。

天国の福音書

神人合一

 よく昔から神人合一という言葉があるが、実際から言って、そういう人は今までに一人もなかったと私は思っている。なるほど、釈迦、キリスト、マホメットの三大聖者にしても、神人合一のごとく見ゆるが、実は神意の伝達者であって、分りやすく言えば神の取次者であったのである。という訳で、世人は神人合一と神の取次者との区別を知らなかったのである。すなわち神の取次者は、神憑りや神の命によって行動するのであるから、常に神や仏陀<ブッダ>を祈り、その守護を仰ぐ事にしているのである。

 従って、私に在られます神霊は最高の神位であるから、これ以上の神様は世の中にないのであるから、他の神様に頭を下げる意味はないので、何よりも信者が日々顕わしている奇蹟がそれを証拠立てている。その奇蹟たるや、キリストの顕わした奇蹟以上の奇蹟が常に顕われているので、私の弟子でもキリストに比べて何等劣る処はないのであるから、この一事だけでも私の神格は想像つく筈である。

正義感

 以上の理によって、正義感を基本としなければ幸福を掴<つかま>える事は絶対出来ない。という訳で、悪ほど損なものはないのである。私は「愚かなる者よ、汝の名は悪人なり」と常に言っている位で、この理が分りさえすれば、今からでもたちまち幸運街道驀進<ばくしん>者となるのである。ただしこれには一つの条件がある。それは単に正義と言っても二通りある。一つは個人の利益を本意とする小正義と、社会国家を主とする中正義と、そうして世界人類を主とする大正義とである。ところが小と中は真の正義ではなく偽正義であり、大正義こそ真の正義である。例えば親に孝、君に忠は、煎<せん>じ詰めれば利己本位である以上偽正義である。この間の戦争にしても、日本が負けたのは日本だけの利益を主とした偽正義であったからで、どうしても世界全体の利益を目的とする大正義でなければ、永遠の栄えを齎<もたら>す事は出来ない。これが真理である。もちろん宗教にしても同様な事が言える。かの仏教やキリスト教のごとき大宗教が今日衰えたというのは、大正義に見えても実はある程度の欠陥があったからで、それが今まで分らなかったのである。 ところが我が救世教に至っては、信者も知るごとく、病貧争絶無の地上天国をモットーとしている以上、人類全体の利益が本意であるから、真の大正義の実行者である。

天国の福音書