浄霊というか“お道”

 ところで、總斎の浄霊のもう一つの側面に注目しておきたい。 總斎の行なう浄霊は、単なる人助けに終わっているわけではないということである。浄霊という救済の方法を用いながら、總斎は明主様のみ教えを多くの人びとに知ってもらい、広げていきたいと考えていた。浄霊で人を救うことも大事なことである。実際、それだけで終わってしまう場合も多い。しかしこの時代、總斎旺とって一番大事なことは、このような活動そのものが実は明主様の御用をさせていただくことであると、人びとに知らせることにあった。そのためには、浄霊によって人を救うと同時に、人を動かさなければならない。「五六七<みろく>会」の信徒たちは、總斎の一番大事なことを理解してくれた人びとなのである。總斎の明主様への想いを理解し、總斎を雛型として自分自身と明主様のつながりを見出してくれる──總斎にとってはこのことが最も肝心なことなのであった。

 そこで重要なことは、總斎の浄霊力は一般の信徒に夢を与えるものであったということである。總斎に近づきたい、總斎と同じようになりたい。總斎の行なう浄霊はそうした希望を信徒に与える力でもあった。

 昭和二十二年の暮れに總斎が別府で講習会の講師になった時のことである。この年の夏には總斎は「日本観音教団」の管長になっていた。この時、受講した入信間もないある信徒の話によれば、講習会は總斎の顔を一目見ようとする人で立錐の余地もなかった。参加者の中に一人のお坊さんがいたが、そのお坊さんが總斎の講話中、満座の中でひっくり返ってしまった。しかし總斎は騒がず、
「あ、そのまま、そのまま」
 と言って、講話を中断することなく、話をしながら浄霊を始めた。講師として話している總斎と浄化で倒れた人の間隔は五メートルほどあったが、何分もたたないうちに、浄化が治ってしまった。それを見ていたこの信徒はたいへんびっくりした。
「たまげてしまって、凄いもんだなって思ったが、一方ではサクラじゃないかという気持ちもあった」
 というのは偽らざる心情であろう。總斎の行なう浄霊が想像を絶する結果をもたらしたからである。現実に自分の目で見ている訳だから認めざるを得ない。
「やっぱり本当だと思う。凄まじい霊力だ。世の中にこんなことがあるのかと、びっくりした。そしてその浄霊力に憧れ、あんなふうになりたいと痛切に思った。言いようのない感動と素晴らしいという思いで、このことが私が専従者となって布教していく大きな動機の一つになった」
 と、前述の信徒である専従者は語っている。

 人を救う歓びと、總斎に近づきたいという気持ちが一つになって、一人の信徒をして専従の道を歩ませたのである。一人の人間を救う力が多くの信徒を動かし、結果としてもっと多くの人びとを救済することになった。このように考えると、總斎の浄霊力は単に病を癒すだけではないことが判る。

 また、岐阜の美濃町で講習会を開催した川端廣重の話によると、その会場に、小児麻痺で歩けない三、四歳の女児を連れて浄霊をお願いに来た人がいた。總斎はその子をうつ伏せにして腰のあたりを浄霊した。数分間の浄霊のあと、
「はい、歩いてごらん」
 と、總斎が言う。女児の父親は手をとってこわごわ立たせようとした。子供も足もとをふらつかせながらも一人立ちをした。そしてすぐに一人で歩き始めたのである。その子にとっては歩くということは生まれて初めての体験であった。

 總斎ほ、
「これは擬似小児麻痺です。だから簡単に治るんです」
 と、こともなげに説明を加えるのだが、居合わせた受講者は一同大感激である。もし總斎のことを何も知らない人がこの場にいたら、サクラか八百長行為のように思うであろう。しかし、これは間違いのない事実、奇蹟であった。講習会場は“私も先生のような治療(浄霊)力を持ちたいなあ”と思う者でいっぱいとなり、そして、人びとを“一人でも多く講習会に導こう”と、布教活動の意欲はますます盛り上がりをみせたという。

 また子供によっては浄霊が嫌いで、親は一所懸命浄霊を受けさせようとするが、浄霊をする人の手を噛んだり蹴ったりして、どうしても浄霊をさせない子供がいた。瀾は困り果て總斎に相談すると、こともなげに、
「連れておいで」
 と言う。

 その子供は、毎年冬になると“あかぎれ”や“霜焼け”で手が真っ赤に爛<ただ>れ、他人の眼にもかわいそうで見ていられない状態である。
 總斎はその子を見て、
「お嬢ちゃん、小父さんと握手しましょう」
 すると子供は總斎の顔をジーッと見て首をコクツとした。總斎は両手で“あかぎれ・霜焼け”に爛れた手を両手で包むようにして、
「かわいそうに、すぐ治るから」
 と言って手を軽く握り、頭を撫でて終わったのである。その間十数秒である。そしてその子供の手は数日間で完全に治ったのである。

 そして毎年苦しんでいた“あかぎれ・霜焼け”は、その後四十数年過ぎた今日まで一切浄化しないということを、のちに母親から聞かされた。その時の娘も現在は五人の子供の母親となり、
「詳しいことは覚えていないが、先生の温かい大きな手だけはよく覚えています」
 と当時を思い浮かべながら懐かしそうに語っていた。

 たった一人の總斎の人格が多くの人びとを感動させ、その感動がまた多くの人を動かしていく。こうして、總斎の行なう浄霊がその地を「おひかり」で強く照らし浄めることになるのだ。明主様の願われた理想的な御神業の展開ではなかろうか。これこそが本教の布教活動の真髄にほかならない。