(14) 聖地造営

天国の雛型

 教祖の逮捕という衝撃的な出来事によって、教団は、一時、教線が大きく後退するほどの痛手を受けた。しかし、その間にも、箱根、熱海における聖地の造営は、強固な信仰に生きる人人の手によって着実に進められていたのである。建設の第 …

観山亭

 箱根・神仙郷において、教祖が最初に建築を手がけた建物は「観山亭」である。戦時中とはいえ、来客も多く、そのうえ、何人もの奉仕者をかかえていた教祖が、落ち着いて神務に携わることのできるように専用の住居の必要を感じて建てたも …

萩の家

 教祖は観山亭が完成すると、次いで、昭和二二年(一九四七年)五月に、強羅園時代からの貸し別荘の一軒を、観山亭の裏の斜面へ移転、修復して「萩の家」と名付けた。教祖には、この貸し別荘に格別の思い出があったのである。それは大正 …

日光殿

 観山亭が完成して間もないころ、建築の統制が一部緩和されたので、教祖は弟子、信者との面会のために参拝所(後の日光殿)の建築を計画した。終戦直後、秋田県のある神社の所有であった秋田杉一〇〇〇石(約二七八立方メートル)を購入 …

山月庵

 教祖はまた、昭和二二年(一九四七年)、茶室作りの名匠・二代目・木村清兵衛に、茶室・「山月を託した。この計画の発端は昭和二一年(一九四六年)の春にさかのぼる。当時日本に進駐していたアメリカ軍の代将(少将と大佐の間に位置す …

工事の始まり

 熱海・瑞雲郷の建設は昭和二〇年(一九四五年)に、当時の地名で、伊豆山字大久保、現在の救世会館の土地約五〇〇〇坪(約一万六五〇〇平方メートル)の入手から始まった。  翌二一年(一九四六年)には、現在の水晶殿のある所と、梅 …

神の計らい

 瑞雲郷においても、箱根の場合と同様、必要なものは必要な時に過不足なく手にはいるという奇蹟が相次いだ。たとえば、救世会館の用地を造るため、山を削る工事が進められたが、その途中で大量の岩石が出土した。ところが、この岩石はす …

梅園、つつじ山

 救世会館建設の敷地として、山の斜面を切りくずし、三〇〇坪(三九六〇平方メートル)の土地が一応の造成をみたのは、昭和二五年(一九五〇年)の夏のことである。この時、ケーブルを使って運び降ろされた大量の土砂は谷を埋め、さらに …

救世会館

 教祖は熱海の瑞雲郷を「清々台」、「景観台」、「石雲台」の三段に区分して建設を進めたが、その中心をなすのが晴々台上に建てられた「救世会館」である。この建物は写真に見るようにル・コルビュジェ(一八八七年~一九六五年)の建築 …

水晶殿

 熱海瑞雲郷の中で、教祖の手によって建設され、竣工を見た最後の建造物は「水晶殿」である。教祖が瑞雲郷を詠んだ歌の中に、   絵巻物繰り展げたるが如くにてただ恍惚たりぬ景観台の上 というのがあるが、瑞雲郷の中でも、代表的な …