六 美の館・百花の園

なにか事変の起る前には、必ず明主に神示があって寺社に参詣するのを常とした。昭和十六年の五月、丹波の元伊勢神宮に、六月二十二日は鹿島・香取の二神官に参拝した。この日、独ソ戦が開始され、戦雲は急速に拡大する。七月一日に伊勢山田の皇太神宮に、八月は日光東照宮に参拝した。十一月には善光寺に参詣した。この寺社詣でに神仏の姿を拝し、神示をうけた。そして十二月八日、遂に大東亜戦争に拡大した。ここに東京は爆撃によつて焼士と化すると考え、信徒にも注意をあたえていた。

 昭和十七年(六十一歳)には主な教会十ケ所に達していたが、この年から昭和十八年(六十二歳)にかけては、けわしい戦時態勢のかげに、静かな家庭生活に親しみ、書画の執筆を楽しみ、「光明」の文字などを揮毫したり、観音像を多く描いたりしていた。

 昭和十九年(六十三歳)、戦争はいよいよ激化し、爆撃による悲惨事も間近かに迫ったことが予想されたので、急速に疎開発をもとめたところ、五月、箱根強羅の藤山雷太氏の別荘を、嗣子愛一郎氏から購入して移転した。これが、今の神山荘である。ついで七月、山下亀三郎氏の熱海の別荘を購入して、九月に移転した。これが今の東山荘である。

 昭和二十年(六十四歳)八月十五日に終戦となる。日本はこれから正しい国になる時期に到達した。すべては神意であると観じた。そして今や荒廃した人々の心の中に真実と誠実を恢復するために、廃墟と混乱の中からたちあがらなければならない、そして新しい信仰の建設に邁進しなければならない、それが主神の命令であると観じた。ここに明主の世紀の幕が開かれた。光明の地平線を凝視しつつ、奇蹟の手をさしあげて、燦然として登場するのである。

 昭和二三年(六十五歳)の八月に、まず箱根強羅の観山亭が落成して、建設の本拠がなった。昭和二十二年(六十六歳)八月三十日、新憲法に「信教の自由」が認められた。ここに宗教法人「日本観音教団」を創立し、畢生の事業に出発した。昭和二十三年(六十七歳)十月三十日、宗教法人「日本五六七<みろく>教会」を創立し、十二月一日、機関誌「地上天国」を創刊した。かくて教団創立後、僅々一年有半にして、信徒の数、十万余に達した。さらに躍進し、昭和二十四年(六十八歳)三月八日、機関誌「光」を創刊し、終戦後、わずか三年にして、信徒の数、三十万に達したのである。この短日月における飛躍的発展には目を見はらせるものがある。

 昭和二十五年(六十九歳)の二月四日に「日本観音教団」と「日本五六七<みろく>教会」を発展的に解消して、宗教法人「世界救世教<メシヤ>」(メシアスはヘブライ語、英語ではメサイアmesaiah)を創立し「光」紙を「救世」とあらため、さらに「栄光」を改題し、教祖の「大先生」のよび方を「明主」とあらためた。かくてメシヤ教が誕生したのである。

 九月二十一日、本教はじめての秋季大祭と、神仙郷完成祝賀会を挙行し、「地上天国出来るまで」を刊行した。十二月に美術館敷地設定にとりかかる。

 昭和二十六年(七十歳)の一月十五日に「自然農法解説」を刊行した。六月十五日、箱根の日光殿増築落成祝賀式典を挙行した。八月、美術館の敷地が完成し、十月その建設準備にとりかかる。昭和二十七年(七十一歳)の四月三十日に、京都の地上天国の候補地を視察した。六月十五日、箱根美術館の開館式を兼ねて、神仙郷落成の祭典を挙行した。

 さらに六月三十日と七月一日の二日間、美術館の完成に際し、各界の名士を招待した。十月十八日、京都に赴き、嵯峨の広沢池畔の土地と春秋庵・池畔亭を入手した。

 昭和二十八年(七十二歳)の二月十一日にハワイに教会をつくるため、樋口喜代子、安倉晴彦両氏が羽田から空路出発した。五月二十五日に箱根美術館別館が落成した。六月十五日に箱根の地上天国が完成したので祝賀記念祭を挙行した。十月十六日に熱海メシヤ会館の上棟式を行う。

 昭和二十九年(七十三歳)の一月二十七日、農村救済の段階となり、自然農法普及会を結成し、農村特集号を発行した。二月十四日にハワイ教会の落成式を挙行した。六月十五日にメシヤ降誕祭の仮祝典にのぞむ。十二月十日に水晶殿完成を記念して遷座式が挙行された。十二月二十三日に熱海のメシヤ会館で七十三歳の誕生祭が行われた。これが明主最後の誕生祭となつたのである。 右のように建設事業をみるに、昭和十九年五月に箱根強羅に移転し、昭和二十一年に観山亭が落成してからその昇天の昭和三十年にいたるもなお未完成の熱海美術館と未着手の京都嵯峨の地上天国を残している。しかしわずか十年間にその理想たる地上天国の模型を創造したのも驚異である。しかも地上天国の模型は、箱根と熱海と京都の三ケ所につくる予定であったが、その完成をみずに昇天されたのである。

 現在、箱根強羅の神仙郷(五千坪)には神山荘、日光殿、観山亭、茶室の山月庵、箱根美術館(本館と別館)があり、別に事務所の大観荘がある。神仙郷の上段には御墓所(三千坪)がある。また光明台には光明殿の敷地(約一万坪)があり、夏季事務所もある。熱海の瑞雲郷(三万坪)は熱海全市および相模湾を脚下一望の下におさめ、ここに展望台の水晶殿とメシヤ会館があり、目下工事中の熱海美術館があり、住居の碧雲荘がある。京都の嵯峨広沢池畔の平安郷(一万八千坪)には春秋庵があり、仏教美術館を建設する予定である。また別に池畔亭(七百坪)がある。実に壮大な規模と構想をあらわしている。

 箱根強羅の神仙郷と熱海桃山の瑞雲郷と京都嵯峨の平安郷の三つの地上天国の模型の建設は、明主の想念の芸術である。一は山谷の樹林奇巖の美のなかに抱かれ、二は海洋の島嶼<しよ>岬崎を脚下に俯瞰し、三は古都郊外の池畔名月を賞する自然美に、人工美(庭園・建築の美)を調和させて、妙なる階調を奏でさせようとする。

 箱根は完成し、熱海は完成に近く、京都は着手にいたらないが、それぞれの庭園の美を創造して撩乱たる百花の園をつくり、新しい宗教建築の様式美を創案し、日本美術の粋をあつめた美の館<やかた>を設けてある。

 神の殿堂と美の殿堂の対照と融合、それは宗教(信)と芸術(美)の調和だけを意味するものではない。明主にとつては宗教は霊科学と考えられその対象は真理とされている。そしてこれは宗教(真)と道徳(善)と芸術(美)の調和した理想的社会の縮図的典型として構想されているのである。それがいうところの真善美の調和した地上天国の模型である。

 明主はこの神苑は日本は愚か外国にもまだあるまいと思うほどの「作品」といい、自然の美と人工の美をマッチさせた一つの理想的な「芸術品」をつくる目的で完成したものである。これは小規模の地上天国であるが、それは美の小天国であり、芸術境であり、真善美の世界である。かつて宗教は芸術の母胎であった。古い時代には絢爛たる宗教芸術を完成したが、今は宗教と芸術は袂を別ってしまった。ために宗教は信仰いってんばりの無味乾燥なものとなってしまった。真善美は形のない目に見えないものであるに反し、美は目にみえる形をもってあらわされる。宗教芸術は理想と信仰という精神的なものの象徴的な具象化であった。いまや新しい宗教と近代的な芸術はふたたび結びつけられなければならない。ここに近代的な宗教芸術も誕生しなければならない。造型美術は見る人の眼を通して、人間に内在している美の観念をひきだし、おのずから品性を向上させ、魂のけがれを洗いおとすものである。それは精神や霊魂の浄化のはたらきをするものである。しかも芸術は精神にふかい悦楽をあたえる。故に美によって人類を楽しませながら、品性と文化の向上に資することが必要である。今までの宗教は禁欲とか難行苦行などの苦しみによって救おうとしたが、それとは反対に楽しみによって救おうとするのであるから、宗教に芸術は必要なのである。なんとなれば宗教本来の理想は真善美の世界をつくるにあるからだ。

 明主の地上天国の構想は、すでに想念の芸術であると述べた。造型芸術は思想の結晶体であるが、それは真善美の調和した小天国であり、宗教・道徳・芸術の調和した理想社会の典型の創造という点で、大調和の思想の結晶したものである。美は調和である。この調和美のなかに構成された宗教・道徳・芸術の渾然たる象徴は、メシヤ教の性格の表現であるが、それはすでに雄渾な想念の芸術である。しかもその想念の映像には、神霊の深奥の思想と、宗教の偉大なる幻想を宿していて荘厳優麗である。その想念を形成する思想の体系と秩序も雄大である。

 その想念の核心をなすものは「神意経綸説」である。世界創造の主神エホバの神意は、この地上に天国を実現することにあつた。エホバの名は讃うべきかな。天国を地上に! 光明世界の実現こそ、人類究極の目的であり、理想である。明主の宗教観もこの究極の理想を実現するところにあり、それをもって、神意によるところの使命と確信している。人類究極の理想とは病貧争絶無の幸
福と平和な世界であり、そのような地上天国を世界に建設するのが、世界救世教の目標であるが、それは創造の主神の神意に基ずくものである。

 しかるに今までの病貧争にみちた歴史的社会──暗い夜の世界は終り、病貧争のない幸福にして平和な理想的社会──明るい昼の世界がはじまろうとする世界の黎明が訪れてきたのである。やがて地上は天国化され、新しい文明が創造されるであろう。されば古い暗黒の世界は終り、新しい光明の世界は始る。ここに神の国は近づけり、の永遠の予言は、神の国は眼の前にあり、のメシヤの霊界転換説、天時到来説のコトバとなつたのである。今までのプロセス(過程)は神のプログラムであり、神の計画である。すべては神意の経綸であったのである。

 つぎに「神業見型説」である。すなわち神は創造するにあたり、まず型をもつて示すものである。という説である。神の経綸は最初はごく小さい雛型をつくり、漸次ひろがって世界大となるという神秘なはたらきの中にひそめられている。それは人間が大きな物をつくる場合、まず模型をつくり、しかる後、制作にかかるようなものである。そのように、この小さい地上天国の模型は神意にもとずく神業であるかぎり、やがて将来における世界的な地上天国を暗示しているものである。

 そして神業見型説の裏ずけをなすものは、神の経綸の神秘なはたらきが、求心的中心からはじまり、遠心的拡大にすすむという中心思想である。日本は世界文化のメルティング・ポイント(融合点)であり、その渦心の中から理想的、平和的な新しい文明を創造する使命を帯びているから、世界文北の中心である。日本は美の国、その上に世界の芸術をあまねく摂取しているから、美の中心である。

 さらにまた日本の自然は世界の公園であり、いこいのパラダイスであるから、これまた世界の中心である。日本の東西の中心は箱根・熱海であり、それはまた日本の公園の中心でもある。そして箱根の中心は強羅であり、強羅の中心は神仙郷である。

 このような世界の求心的中心に、神はまず模型をつくり、その型を示されるものであるが、それがこの地上天国の模型である。しかもこれは神意のままにはるかに遠く海を越えて、世界に拡大されてゆき、世界の地上天国が実現されるであろう。熱海の水晶殿の展望台のかなたは、明るい水平線が光明にかがやいている。 
 
 つぎに神人機関説がある。この聖業は明主がおこなうのではない。神が明主を機関として、命令し、自由自在に使つて実現させたものであるという。かく神意経綸説とその人類救済説・神業見型説とその求心的中心から遠心的拡大にいたる中心的始原説、宗教道徳・芸術の調和による真善美の理想社会の実現や自然美と人工美の調和にみるごとき調和的世界など、明主の思想の全体系がその骨組となり構築されたものが、この地上天国の模型である。 これは思想の結晶体としての芸術である。明主の雄大なる想念の芸術である。美の館の展望台からみれば、山の樹々は緑に光り、鶯鳴き、石また答えるであろう。熱海水晶殿の百花の園のかなたに海は輝き、遠く遙かな呼び声がきこえてくる。