救世の光

一 第三の眼

 雨に濡れた緑の古都、奈良の三月堂(法華堂)の本尊の観音(不空羂索観音─一丈一尺九寸の立像、天平仏である)を仰いで佇む。胸前のやわらかい金剛合掌を中心にして、上下とそして左右の均整が集約されている。美しい緊張を保つた集約 …

二 試煉の門

 むかし、在原業平が東に下り、日も暮れようとする頃、隅田川の渡舟に乗り、水鳥をみて、「名にし負はばいざ言問はん都鳥わが思ふ人はありやなしや」とよんだところは、今の言問橋のやや上流、江戸時代まであつた橋場の渡しであつたであ …

三 神秘の扉

 こうして大正十三年(四十三歳)には、仕事の方はもうどうしようもない、と思われたほどトコトンまでいためつけられてしまったので、全くやりきれない気持になって、また大本教に入ったのである。そんなわけであるから、今度はすこぶる …

四 光は闇を追う

 昭和四年(四十八歳)の五月下旬、大森八景坂の住居の上空に、大暴風雨と雷鳴がおこり、その時から観世音菩薩をまもる金竜神が、明主の守護神となった。昭和六年(五十歳)六月十四日、房州鋸山の日本寺に参詣せよという神の啓示があっ …

五 世の苦しみを治す手

 昭和九年(五十三歳)の五月一日に、かねてから東京の中心に家をもとめていたが、麹町区平河町に適当な家がみつかったのでこれを借り、信仰的指圧療法という治療所を開業し、応神堂と名づけた。かく治療所を開業したのは、昭和三年から …

六 美の館・百花の園

なにか事変の起る前には、必ず明主に神示があって寺社に参詣するのを常とした。昭和十六年の五月、丹波の元伊勢神宮に、六月二十二日は鹿島・香取の二神官に参拝した。この日、独ソ戦が開始され、戦雲は急速に拡大する。七月一日に伊勢山 …

七 永遠の生命<いのち>とともに

 コトバあり、「汝いずこより来り、いずこへ行くや」またコトバあり、「我祖先より来り、子孫へ行く」と。されば個の生滅は永遠の生命の流れの中の一契点にすぎないのである。昨二十九年の春四月、明主は気分すぐれないことがあったが、 …

一 新しい宗教家

 十七歳、美しい妃をむかえてこれをかえりみず、釈迦の日暮れての院想。十九歳、華子をすて玉城をでて、 尼連禅河の六年の苦行を経て、菩碍樹下の端生息惟からたちあがった前には、衆生済度の祈願がこめられていた。  ヨルダン河の東 …

二 映画

 私が映画の好きなことは私を知るかぎりの人はみんな知っている。忘れもしない私が映画を観はじめたのは十六七の時(明治三〇・三一年)だから、今から五十年ぐらい前で、まず最古のファンといえよう。その頃が映画が日本へ入った最初で …

三 演劇

 昔から世の中には多くの名人がでているが、名人になるには実に容易なものでないことは、名人なるものがまことに少いという事実によっても明かであろう。私は常にこう思っている。ある意味で名人が人類に対する功績はすこぶる大きなもの …