昭和九年(一九三四年)一二月四日、立教への準備が進められるさなか、岡庭真次郎のもとへ教祖から、
「『観音経』を持って応神堂へ来るように。」
という内容の電話がはいった。岡庭はさっそく、『観音経』(法華経二八品〈ほん〉中の第二五番目、観世音菩薩普門品のこと)を持参すると、教祖は、
「今から祝詞を作る。」
と言って、その『観音経』を参考に口述を始め、それを井上茂登吉が筆記してできあがったのが、『善言讃詞』である。
これは観音の妙智、力徳を礼讃し、その威徳によって招来されるべき〝みろくの世〟の様を描写した独特のもので、その奥には、夜から昼へ、仏界から神界への推移ーー霊界転換の深い神意が込められている祝詞である。
『観音経』は釈迦が最晩年に説いた教え、『妙法蓮華経』(法華経)に含まれる。すでに述べたように、そのすこし前に説かれた無量義経に、「四十余年には未だ真実を顕わさず」とあり、その後の『法華経』の中で初めて釈迦の生涯の総決算ともいうべき真実が説かれたといえるのである。この意味において『法華経』は仏教におけるもっとも重要な経典の一つとされる。しかし、それは古代インドで使われた梵語で書かれ、二千数百年前当時のインド民衆を対象に説かれたものである。したがって現代人にはそのままあてはめることのできない部分がある。そこで教祖は、『観音経』に込められた霊的な意義を受けて、祝詞形式の『善言讃詞』を創案したのである。教祖は、その意図をつぎのように述べている。
「所で日本の祭典は古来神の形式をとってゐた。千三百年前仏教が入って来たが、その前まではすべて神の形式であり、本来は祝詞であった。仏教のよい点を神式にしたのが善言讃詞なのです。」
『観音経』の中の字句を含みながら、しかも簡明流麗、韻を踏んだ美しい響きは、人の魂を浄め、天国に遊ぶ思いを起こさずにはおかない、まさに、その名の通り、善言であり、讃詞である。
ところで教祖は、立教前年の一二月、宇津木義郎という人物について、神道の教義や祭式作法などを修得し、昭和一〇年(一九三五年)にはいってから神道者の資格を取得している。宇津木は、神道本局上総分局長という立場にあり、権大教正という上級の資格をもつ人であった。このように立教に先立って、公認の宗教資格取得の準備を始めたことは、慎重な教祖が新宗教に対する当局の厳しい時代の中で、神業を推し進めるために、細心の配慮をした、その一つと見ることができるであろう。