夜昼転換

 昭和六年(一九三一年)六月一五日の早暁、日本寺山頂において教祖が感得し、その後さまざまな神秘を通じて具体的に裏付けられていった、“重大な天啓”とは、一体どのような内容のものであったのだろうか。

 後に教祖はこれを「霊界における夜昼転換の啓示」と称した。この日、霊の世界において、ひそやかな神事がおごそかに行なわれ、霊界が夜の時代から、昼の時代へ転換し始めたこと、言い替えれば、霊界に大いなる黎明の時が来たということを教祖は知らされたのであった。これはもちろん、大変神秘なことであり、また、今まで誰一人唱えたことのない、まさに前人未節の事柄である。しかし、見真実という霊的な境地に到達していた教祖は、この天啓の意義を深く感得したのである。

 この天啓の意義を理解するためには、教祖の説いた「夜昼転換」と「霊主体従の法則」を知らなければならない。

 夜昼転換というのは、つぎのようなことである。一日に昼と夜の明暗があり、一年にも夏冬があるように、十年、百年という年月の間にも明と暗の循環、交替がある。これは歴史の流れの中において、平和の時代があり、闘争の時代があるというように、明暗が巡ってくる。千年単位、 万年単位という長い時間の中にも、このような交替のリズムがある。そして現在は、永い間続いてきた「暗の時代」が終わりを告げ、「明の時代」にはいろうとする「夜明けの時代」、つまり「夜昼転換の時代」である。

 夜昼転換は昭和六年(一九三二年)六月一五日を期して、まず霊の世界に始まった。そして、この変化はしだいに現実のこの地上世界、すなわち、現界に移り投射されてくる。霊界と現界とは表裏一体、密接不離の関係にあって、すべての事象は、まず霊界に起こって、そのことが現界に移る。それは、すべてが「霊主体従の法則」のもとにあるからである。原因の世界たる霊界が昼となった今、その移し世である現界は、地獄的暗黒の世界から天国的光明世界へと、空前の大転換を遂〈と〉げるのである。
 この「霊界における夜昼転換」を感得した教祖は、イエス・キリストの言った「天国は近づけり」も、また、釈尊の「五六七〈みろく〉の世」も、この昼の世界到来の予言であったことを明瞭にとらえるとともに、過去の諸宗祖が単なる予言にとどめていたことを現実に成就する時期が非常に近づきつつあることを覚ったのである。さらに、

   「驚くべく、悚るべく、歓ぶべき一大変化が起る事である。」

と言って、その感動をつぎのような歌に詠んでいる。

  釈迦孔子や耶蘇の教をいやはてに生かさんとする観世音かも

  東方の光といへど観音の救世の力の事にぞありける

  待望の救は現れぬ警鐘をひた打鳴らし世人醒さん

後に教祖は、

  「六月十五日というのは天照大御神様の誕生日になりますが、誕生日という事は日が出るわけです。……前に房州の日本寺に行った時が昭和六年(一九三一年)〈*〉六月十五日ですが、これがつまり日本の日の出になるわけです。そしてそれが世界の黎明です。」

*( )内は編集者・挿入
 と説き、

 昭和六年六月十五〈しようわむとしむつきじゆうご〉の此佳〈このよ〉き日いと窃〈ひそ〉やかに岩戸開〈いわとひら〉けぬ

と詠んだ。さらに、古事記にある天の岩戸開きの神話は、天照大御神の出現により、昼の世界になるということの一大予言であり、また、西方で古くから言い伝えられてきた“東方の光”が出現することの予言も、「昼の世界」出現を意味するものであったと、感得したのであった。

 「昼の時代」への転換が進むにつれて、それまで続いてきた夜の文明は、崩壊〈ほうかい〉し、これに代わって新しい昼の文明が創造される。この破壊と建設の真意を、遍〈あまね〉く人類に伝え、人々を混乱、苦悩から救わねばならない──そのように教祖は自己に課せられている重大な使命を痛感し、また、新文明創造への意欲に燃え、やがて一宗を開くべきことを心に期して、時を待つのであった。