常に新人として

小間物小売りの「光琳堂」から、同じ小間物の卸の「岡田商店」へと衣替えして、初めて番頭さんをお人れになる時、明主様は、『売上げの何分をやりましょう』ということで雇い入れられました。
 
その時は創業時代でささやかなものでしたが、その後だんだん店が発展して、売上げが彪大な数字になりましても、決して歩合を変えられなかったそうです。ですから、あとになるほど番頭さんの収入は大きくなったわけで、恐らく他の店の番頭さんとは比較にならなかったでしょう。
 
しまいには、どちらがお金持か分らないほどになりましたが、番頭さんは、それをまた大いに徳として、実に心服しておられました。
 
ここらが明主様の明主様たるとごろだと思うのです。
 
のちに独立されて、さらにご自分の力で成功されている長島さんも、長いあいだ、岡田商店で働いて下さいましたが、昔を忘れないで、また明主様を主人にもったことを非常に誇りとされて、まるで子供のように、時折私の方へも訪ねて来て下さいます。
 
その方に聞きますと、「明主様は、私の入社当時から普通人とは全然違った感じだった。何か威厳があって、店の者がピリピリしていた。そうかと思うと、非常に温情があって、厳しいところと温かいところとを兼ね備えておられた」ということです。
 
給料なども、固定給の上に歩合給というのがあって、能率を上げさえすれば、どんどん給料が上がる仕組になっており、万事経営の仕方が普通の商店とは違っていたそうです。独創的なもので、まず十年は早いやり方だったということです。