生来の正直流で

明主様は二十五オの時、二千円の資本で、日本橋の西仲通りに「光琳堂」という小間物屋を開かれましたが、この時はお母さまと親戚の少女の三人暮らしでしたので、ご自分が店のことは一切なさるという約束で、朝は早くから起きて、人の通らないうちに表を掃き清めて、店のハタキや雑巾がけも、みなご自分でなされたそうです。
 
また、仕入れから、「元結一把おくんなさい」という子守っ子にまで、『はい、はい、ありがとうございます』と親切にして、『主人兼番頭兼小僧の一人三役を働いたよ』とよくお話になられました。
 
朝はおみおつけとおこうこ、お昼はゆで卵ひとつ、晩にはお魚とお汁、それにおこうこというように決まっていたそうです。そうして一生懸命に働かれて、たちまち卸の店をこしらえられるまでになったのです。 あとでこそ、たくさんの番頭をかかえて、デパートに卸売りをなさるようになったのですが、最初のうちは一人三役で頑張られたのです。

 さて、明主様が「光琳堂」を開かれた時、ある縁続きの苦労人から、「商売はバカ正直だけでは決して成功しないから、三かく流(義理、人情、交際を欠く)でやれ」と教えられて、一時は〝なるほど″と思われ、一生懸命嘘をうまくつくように努められましたが、どうしてもうまくゆかず、結局、忠告を無視して生来の正直流で押し通されることになりました。 そんなある時、三越の小間物仕入部長さんが、通りすがりに立ち寄られ、「実は今度仕入部長になったが、小間物についてはサッパリ無知であるから、専門店やいろいろ参考意見などを聞かせてほしい」と言われました。
 
それで、明主様は、『私自身もあまり経験はないが、知っているかぎりのことはお教えしましょう』ということで、『某所の某店は何が特色だ。何を主に扱っている。図案がいい。こういうものはこの店で買いなさい』と、懇切丁寧に教えられました。
 
仕入部長さんは、「大変参考になった」と言って、その場は礼を述べて帰られましたが、その後しばらくたってから、ふたたび訪ねられ、「先日は大変ありがたかったが、きょうは、ひとつお願いがあって来ました。というのは、あなたは商売人として実に珍しい人だ。たいていの商売人なら、三越と聞いただけで、なんとか自分の店と取引を成立させようと、手前味噌を述べるものだが、あなたは自分の店のことはひと言も口にせず、他店の特色をあげ、しかも親切に教えて下さった。これは全く商人根性を離れておられ、私はその立派な人格にうたれました。ぜひ取引していただきたい」と言われました。
 
明主様は再三辞退されましたが、先方のたってのお願いで、ここに三越との取引がはじまり、小売店から卸問屋に転じられ、独特の創意工夫が時代の尖端をゆくところから、一躍業界の人気を集め、成功者となられたのです。