巾広いご趣味

そのころの明主様ですが、午後の三時か、四時ごろになりますと、一応仕事が終わって自宅の方へ電話がかかってまいります。
 
そうすると私が店へ出かけて行って、一緒に外へ出て帝劇へ行ったり、また銀座、浅草で映画などを観ました。明主様は映画がお好きですから、替わるたびに方々でごらんになられ、大変に忙しかったのです。
 
当時は、ふたりで出て遊び歩くということは大変新しく、人の目にたつくらいで、私も少しきまりが悪いよう
に思いましたが、明主様はそういうことは平気でした。ここらも非常に新しいお方だったと言えましょう。
 
洋画もどのくらい観ましたか、恐らく彪大なものでしょう。私は何を観てもみな抜けてしまいますから取りとめもないのですが、明主様は一々、筋や監督、俳優の名前まで、みな覚えていらっしゃいます。時々居眠りもなさいますが、それでも、あとでちゃんとお話なさるのですから、どこかで覚えていらっしゃるのでしょう。

 とにかく、明主様の十八番はよく居眠りを遊ばすことで、ちょっとでも暇がありますと、もう眠っておられます。好きな映画を観ながらでも、興味のうすい場面に来ますと、もう眠っておられまして、おもしろいところにまいりますとたん、自然に目があいて……という具合で観ておられました。

 衣裳などもちゃんと注意してごらんになっていて、その中から採るべきものは採っておられたのだと思います。ですから、頭がどんどん進むのも無理はないと思うのです。

 そして、非常にハイカラなものがお好きだったと思うと、また浅草の五九郎劇などへも喜んで行かれまして、大衆の観るものもごらんになっておられました。そして、おかしければ涙を鼻の両脇へ流して笑っておられました。まことに無邪気なものでした。

 とにかく楽しまれる巾が非常に広かったのです。それだけ明主様のご趣味も広いし、人物も大きかったと言えるのではないでしょうか。それでも旧劇は時間がかかりますので、あまりいらっしゃらなかったようです。それは団十郎以来の名優がないということも、ひとつの理由だったらしいです。また、築地の小劇場などはよくいらしたものです。亡くなりました丸山定夫などのあの迫力のある演技など、大いに好まれたものです。

 また、西洋音楽もよくお聴きになられましたが、暗いものはあまりお好きではなかったようです。

 メシヤ、カルメンだとか、アイーダ、ウイリアム・テル、天国と地獄、美しき青きドナウ、それからいろいろの行進曲などお好きでした。調子にのって、手拍子、足拍子をとって、甥とはしゃいでおられ、私ははじめびっくりしてしまったものです。

 プレミアムつきの音楽会だとか、新しい劇だとか、舞踊団が来朝したときなどは、逃さず真っ先に切符をとっておかれました。そして音楽とか劇そのものとかはもちろん、場内の雰囲気も楽しんでおられたようです。とにかく、そのころとしては新しく自由でした