誰に対しても自分が必要と思えば無理をしてでも飛んできてくれる總斎、どれほど教団の中で地位が上がり、一般の信徒からすれば雲上人に見えても、その雲の上から降りてきてくれる總斎であった。どのような大事、どのような些事<さじ>であっても、總斎にとってはすべて平等なのである。人を救うということに関しては、社会的地位の上下も男女の違いも関係はない。しかし、總斎の行為は、普通の人間にとっては、これまで見たこともない優しさと映るのだろう。
以下は石丸蒼香子(歌人)の若い頃の話である。
昭和十六年暮、まさに太平洋戦争勃発の直後、私は結婚式をあげた。夫婦とも病身で二年たっても子供に恵まれなかった。あちこちの医師たちからも子供を産むのは難しいと言われた。夫の勧めで近所に住むお花の師匠のところに通い始めた。この師匠はお花もさることながら、
「お子さんが恵まれるよう、よい治療をしてあげましょう」
と、言って毎日午後、浄霊を施してくれた。一ヵ月ほど続けていたが、そのうちに下痢が始まった。そこでお花の師匠の勧めで、新宿駅に近い「渋井式指圧浄化療法院」へ通うことになったのである。
にこやかな總斎の様子に安心し、しばらく通ってみようと決心し、約一ヵ月あまり、夫を送り出してから新宿の治療所へ通うことにした。
一ヵ月ぐらいしてふと気がつくと、右足の親指のつけ根から膿が出てきた。拭いても拭いても出てくる。
總斎にこのことを伝えると、
「やっぱり、そうか」
と、頷いて、
「あなたは子供の頃お医者さんから、生まれつきとても弱いとか軽い小児結核だって言われたでしょう。けれど、私の診たところでは軽症の脊椎カリエスですよ。まあ、よほどの名医でないと分かりませんけどね。しかし膿が出始めたから勝負は早い。よかった。お風呂もかまいません。何の心配もいりません」
と、詳しく説明をされた。膿は足の親指のつけ根から二、三ヵ月の間出ていた。總斎の的を射た説明と、これは治せるという絶対の自信に私はすっかり安心した。
私は、しばらくして思いがけなく「妊娠三ヵ月」と診断された。ところが、近くの産婦人科へ『妊産婦手帳』をもらうため診察に行くと、
「あなたはとてもひ弱な体で無事な出産は保証できません。ずっと安静にしてください」
と、言われたのだ。そのためしばらくは治療所へ通うこともなく家で安静にしていたが、お花の師匠の誘いで新宿の治療所へ行くと、總斎師は、
「お医者さんがお産は難しいって言ったそうですね。私の治療で大丈夫。産ませてあげますよ。安心して毎日通っていらっしやい」
との力強い言葉をいただいた。実は總斎師にはこの日の来るのはわかっていたから、お花の師匠に見舞いに来させたそうである。
その晩、私たちは相談して、
「医者が無理というのだから、渋井先生にお任せしよう」
ということになり、それからは夫公認の新宿通いが始まった。その後、帰郷することを先生に告げると、「“講習”というのがあるから、それを受けて“お守り(『おひかり』)”をいただいてお国へ帰りなさい」
と、親身になって助言をしてくれた。昭和十九年三月三日に入信。お守りを總斎師から渡された。その時、總斎は、
「よかった、よかった」
と喜んで、にこやかに、まるで父親のような顔で優しく諭してくれた。
山口県で、安産で長女を出産した。長女は健康そのもので一貫目(三千七百五十グラム)近くあった。
私はフッと東京にいる總斎師の慈しみ深い顔を思い出し、感謝でいっぱいになった。
この話には後日譚がある。この女性は、戦後、山口県の防府布教所でご奉仕をすることになったが、夫の実家の理解もあって、一所懸命に多くの人に浄霊を取り次ぎ、本人自身もまた長男を得て幸せな毎日を送っていた。
ところが、長男が四歳の時、長女がもらってきた麻疹をうつされ重症に陥った。布教所での必死の浄霊が始まったがなかなか熱が下がらない。その時、布教所長であった田原和子が、熱海の總斎に連絡をとってご守護をお願いした。
「渋井先生が夜中の十二時にご神前でご祈願くださるからもう大丈夫」
と、励ましたが、若い未経験な母親は気が気でなかった。
「今日はご守護の祈願が全国から三つ届いている、と渋井先生はおっしゃいました。あなたの息子さんのご守護願いは叶えられますよ」
と、田原は泰然自若と説明するのだが、若い母親はただうろたえるばかりであった。
しかし、柱時計が十二時を打つと、またたく間に子供の熱が下がり始めた。苦しそうであった呼吸も次第に落ち着き、身体の痙攣も治まった。そしてスヤスヤと眠り始めたのである。
子供はめざましい恢復を示した。あとで判ったことだが、麻疹から肺炎を併発して、あの状態だと脳膜炎にもなりかねなかったとのことであった。そんな重い病気が、約束の十二時にやすやすと癒されてしまったのである。總斎のご守護願いの偉大な力に若い母親は感動した。
長男の病は、母親の因縁による大浄化であったのだと後日判ったのである。その因縁をご守護願いにより断ち切った。熱海から遠く離れた山口の地にあっても、總斎へのご守護願いは確実に聞き届けられた。全国の總斎を慕う多くの信徒たちは、この總斎の力強い、しかし、温かみのある“不思議な力”に魅きつけられていたのである。