新文明の夜明け

 教祖が日本寺に参詣した時から、夜昼の大転換は本格的に始まったが、これに先立つこと七百余年の昔、黎明の第一歩があったと述べ、文化の伝播をめぐる神秘さに触れてつぎのように説いている。

 すなわち人類を幸福へと導く真の文明は、東方に生まれて西方に至るべきものであるというのがその主旨である。

 世界の歴史の流れを見ても、とくに近世以降、西洋文化が圧倒的に東洋に流れ込んできている。その結果、世界は物質的には一大進歩を遂げたが、必ずしも人類を幸福へと導くにはいたっていない。教祖はこのように今日までの文化に重大な誤謬が潜んでいた証しとして、人類が幸福になるよりも不幸になることの多かった事実をあげている。その理由については、

  「今日迄真理そのものがはっきりしなかった点もあり、真理と思って非真理を説く事が多かったのである。」

と指摘し、人類の苦悩を滅し、健康、富裕、和楽をもたらす新しい文明は、ちょうど日や月が東から出て西へ移りゆく大自然の実相そのままに、東から西へ伝えられていくのであると述べている。

 日本の場合を考えてみても、古代から中世にかけて伝来した文化は大陸から伝えられたものであった。そして、日本国内においても神道や仏教などの各宗派は、全国を東西に二分して考えるならば、西に生まれて東へと伝えられている。このような史実を顧〈かえり〉みて教祖は、日蓮〈にちれん〉が東国に生まれ、東国において開教したことに関して、これまでとは逆に、東方から西方へと真の文明が移る新事実であると受け取り、そこに深い意義を見出しているのである。

 日蓮は十余年間の比叡山をはじめ各地での勉学の結果、『法華経こそ、釈迦の最晩年の説法であり、その精華であるという確信を得て、『法華経』弘通の決意を固め、生まれ故郷の安房小湊(千葉県天津小湊町)へ帰った。そして近くの清澄山に登って、太平洋に昇らんとする日輪を拝し、「妙法蓮華経」という五字の題目を唱えて、日蓮宗の開数を宣したのであった。それから彼のたゆまない『法華経』宣布の活動が始まったのである。
 この日蓮の事績を霊的に見ると、天運が循環し、時節到来して、昼の世界の近いことを告げる前ぶれであり、黎明に先立つ微〈かす〉かな一閃光であると教祖は解明している。
 すなわち、「東方の光」の第一石を投じたのは日蓮であったが、世の転換を計〈はか〉るにはまだ尚早であった。そして、これに次ぐ決定的な第二石を投ずるのが自分自身であることを天啓によって教祖は覚ったのである。