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天国篇

 そもそも、主神の御目的である地上天国を建設する基本条件としては、何よりも大自然の実相そのままを表わす事である。というのはいつも言うごとく、宇宙一切の構成は、日月地が根本となっており、この本質が火水土であるからこの三位一体の力によって、万物は生成され、化育され、世界は無限の発展を遂げつつあるのである。ところが今日までの霊界は、しばしば説くごとく夜であったが為、日は隠れていたのである。つまり月土日の順序となっていた。無論これは正しい順序ではないから、これまでの世界は一切に調和が欠け、みだれに乱れて、現在見るがごとき地獄世界を現出したのである。これというのも善と悪についてさきに説いたごとく、善悪のあつれきが必要であったからで、全く深甚なる神意に外ならないのである。その期間中わずかに宗教によって緩和されて来た事もかいたが、全く釈尊の唱えた苦の婆婆と諦めの言葉も、キリストの贖罪と隣人愛もその意味に外ならなかった。

文明の創造(未発表)

世界救世教誕生の意義と使命【全文】

キリスト教と呼応 東洋にあまねく布教

 答 信仰によって世界全人類を幸福に導くのがその最大の目標です。しかし西洋にはキリスト教があります。そのキリストのいわく「天国近づけり……」はわが教理と最も近きにあり、わが教理は「現世の天国」を一日も早くつくることにある。キリストの遺訓まことに立派で、やはり世界人類救済の神力や偉大です。私はわが新教はこのキリスト教と呼応し、東洋において、わけてもまず日本で、人類の善導と救済に全智全能をあげて働いてゆきたい。従ってこのことが今後の世界平和に必ず大きな寄与をなすものと堅く信じています。まことに本教こそ日本で生まれた最初にして最大の世界平和推進に役立つ宗教であろう。宗教に国境なしという言葉がある通り、本教の真面目と現実の霊験が納得できれば、必ず日本人はもちろん、東洋人全体が真に平和に徹した高邁、清純な精神を保持することが可能である。世界平和のために、人類世界の争闘をなくするためにも、本教将来の活動が活発にならなくてはならない。この真理を了解できざる人々こそ平和を希求しない不幸な人々だと言えよう。

救世

救世教「メシヤ」の名について

 以上の意味であるから、メシヤとは救世の意味だけであって、今後の活動に適合する為のもので他に意味はないのでその事をここに断わっておくのである、人によってはキリスト教に関係のある名称だから、時局便乗主義からと思うかも知れないが、そういう点はわずかもないのである。

救世

なぜ救世(メシヤ)教となったか

 右のごとく神の御働きとなったとしても、日本古来からある神道とは違うのである。神道は日本の民族宗教で限られたるものである以上、万事世界的になった今日としては意味がなくなったので、終戦後神道の影が薄くなったのも、それに外ならないのである。という訳で、最高の神様は民族や国の差別などはなく世界全人類を救わせ給う事になり、実に有難い時となったのである。これにおいて適当な名称を冠せなくてはならない、とすれば、救世の名こそ最も相応しいが、救世教では漢字である以上、東洋的で面白くない。そこでメシヤの振仮名を付けたので、これによって東洋も西洋も合せて世界的という訳である。特にメシヤの言葉はキリストに相通じ、文化民族憧憬の名称たるにおいてをやでもある。又聞く所によれば、メシヤと最後の審判とは密接な関係があるという事で、我等が常に唱える夜の終りと昼の初まりとの意味と同様であるのは意義実に深いものがある。

地上天国

天国予言の具体化

 今日『聖書』を通覧してみる時最も重要である点は「最後の審判」と「天国は近づけり」と「キリストの再臨」の三つであろう。これを検討する時右の中最後の審判は神が行うのであり、キリストの再臨は、これは天の時到って表われる事で説明の要はないが、ただ天国のみは人間の力で建設するのである。とすればこれは何時の日か誰かが設計者となり建設の実を挙げなければならないのはもちろんである。

 右のごとく、本教が地上天国を造る事によって、キリストの予言はここに的中するのである、といっても別段誇ろうとするのではない。何となれば『聖書』の予言も、本教がそれを具体化する事も、神エホバが人類愛の御心によって理想世界の建設の為、時に応じて選ばれたる人間を、自由自在に駆使せらるるからである。

 右の意味において、現在行いつつある吾等の事業は、既に二千年前聖キリストによって予言せられており、その予言実行の為の使命を課せられた一員としてのわれ等と思うのである。

地上天国

『地上天国』十六号-巻頭言

 右はまず、常識的判断であるが、何れにせよ無軍備日本は、その間にあって、いかなる歩みを続けるべきや、下手をすれば未曾有の窮地に陥るのは必定である。と言って運命のまにまに委す訳にもゆくまい。実に危機は迫っている。しからばこの世紀的大災厄をいかに切り抜けるかで、我々は大なる覚悟を要するのはもちろんである。キリストの世の終りの聖言も最後の審判の警告も最早一片の空文ではない。眼の前の現実となって来たのだ。只いかなる様相と経路をとるかが問題である。我等はこの時こそ神を信じ神に縋っていた者と、その反対であった者との差別が万人の眼にも明かに映る時の来る事を確信している。

S25地上天国

世界はどうなる

 聖書にいわく「ヨハネは水の洗霊をなしキリストは火の洗霊をなす」とある、ヨハネの水の洗霊は既に彼の有名なノアの洪水で済んだ筈である、だがしかし、火の洗霊は未だ表われてはいない、と共にその時キリストの再臨が約束されている、火の洗霊とはもちろん霊と体二方面の浄化作用である、霊の浄化とは即ち霊の曇りを焼滅する事で現在我等が行っている病気治療の方法で、これも火の洗霊の一面である、ところが水素爆弾に到っては何しろ五万度という高熱であるそうだから何物をも焼尽してしまうだろう、これは体即ち物質に対する火の洗礼である、以上のごとく世界的に霊体の火の洗霊が行われるとしたら一大恐怖であり、人類史上空前の大浄化作用である。

S25栄光

新旧文化の交代

 そう説いて来ると、キリストが予言された世の終りとはこれでなくて何であろう、と共にこの事だけの予言としたら人類は只滅亡を待つにすぎない事になる。ところがキリストは又言った、天国は近づけりと、これだ、この二大予言が世界の将来を示している事は明である、とすれば、世の終りも来ると共に天国も出現するという意味になる。しかもこれに付随してキリストの再臨、メシヤの出現をも予言された、そうして今一つ考えなければならない事は、原子の破壊から絶対免れんとすれば前述のごとく悪を善に転化する事である、この力こそメシヤの力でなくて何であろう、ただしかし、善悪の大転換が行われるとしても善化しない悪人も多数あるに違いないから、この様な見込みのない者は清算されるより致し方ないであろう、この事をキリストは最後の審判とも言われた。これによってこれを見れば、善悪転換、破壊と建設、旧文化と新文化との交代が今将に来らんとする直前である事を知るべきである。

S25栄光

文化の創造

 この理によって、実は原爆を問題視するには当らない訳だ。問題は戦争そのものにあるので何といっても戦争絶滅より以上、重大問題は絶対あり得ないのである。とは言うものの幾千年前から戦争の脅威から免れようとして、全人類はいかに最大限の努力を払って来たかでこれは何人も知り過ぎる程知るところである、にも拘わらず、戦争の脅威は依然たるばかりか、むしろ回を重ぬる毎に反って増大しつつある事実である。もちろん人口増加の為もあろうが、兵器の進歩はそれ以上の脅威を加えている、遂にその極限的に現われたのが原爆であってみれば、この発見こそ最早人類から戦争に終止符を打つべき運命が近づいた事の示唆でなくて何であろう。キリストの曰われた、最後の世とはこの事であると私は信ずるのである。

S25栄光