かねてから五六七教会では、教会本部の建設を企画していたが、熱海に参拝する信者の宿泊研修の施設も兼ねたものとして、駅にほど近い咲見町に総二階の木造建築を造ることとなった。ところが、基礎工事を終えたころ、熱海大火が発生し、それから間もなくして法難事件が起こり、工事は一時中断された。しかし事件が一段落するとともに工事は再開された。そして一〇月にはいり、渋井がこの建築現場を訪れた時のこと、たまたまそこへ教祖が来合わせたのである。すでに清水町仮本部は手狭になっており、また大火のあとで荒れてもいたことから、教祖は建築中の咲見町の建物を仮本部として使いたいと述べた。そして、なお言葉を継いで、
「一二月二三日から使用したいから、それまでに間に合わせてほしい。」
と言ったのである。渋井はこの言葉に従い、心を新たに工事を進め、無事完成した建物を仮本部として使用できるようにしたのであった。
教祖はさっそくここを「咲見町仮本部」と名付け、二五年(一九五〇年)一二月二三日から面会所として使うことになった。