聖徳太子【メシヤ観音】

 それから今度奈良で、非常に意味があったのは、法隆寺に夢殿という小さい祠がありますがね。祠というか、まあ美術品が少し許り入って、そうして中に観音様の像があるんです。其処の扉は一年に何日か開く事になっている。丁度其時開いていて、其処に行って見ますと、やっぱり等身大の観音様の仏像で、そこに救世観世音という札が出ているんです。

 之は仏教の方では救世(グセ)観世音というんですがね。之は文献には少しありますがね。唯それに「メシヤ」という様に名を付けたのは、私か付けたんですがね。救世観音と書いて救世(メシヤ)観音ですね。処がジッと見てますと、何とも言えない霊気がスーッと私の方に入って来て、とても良い気持になって来て、何んだか嬉しくて涙がこぼれそうになって来た。それは、観音様の霊が私に入って来たんですよ。それは非常に意味があるんです。

 というのは、聖徳太子はつまり千手観音が憑られたんです。ですから千手観音の御働きですがね。あの時には大体時代が時代ですから小さい御働きだったですね。まあ、千手観音じゃなくて、百手観音様かも知れませんがね。

 そこで仏教を観音様が、つまり日本に本当に御自分が出る迄の間、仏教を日本に弘めて、それで救わなければならないと、そうして聖徳太子を働かせて、兎に角仏教を始められたんですね。ですから奈良は仏教発祥の地です。

 そこで奈良という処は、何宗何宗という何はないんです。仏教には真宗とか色々ありますが、それは後から寺をそういう風にしたもので、本当から言うと奈良には開祖なんて言うのはないんです。だからあれは原始仏教ですね。本当の原始仏教ですよ。其後に至っては法然とか、空海.伝教、親鸞ーーそういう人達が出て開祖になって今の色々な世界的にしてやるのと宗門を作ったんですがね。それから山岳仏教ですね。高野山とか、比叡山ですね。其時になって民間仏教ですね。つまり在界の仏教ですね。ですから奈良は純然たる原始仏教であって。その発祥の地ですね。

 で、仏教を始められたのは聖徳太子ですからね。聖徳太子は千手観音様の働きをされた訳ですね。で、其後千二、三百年という間は法隆寺の夢殿に居られたんですね。聖徳太子という方は仏教を始めるに就ては矢張り芸術に依って弘めたんです。そこで、つまりあの地を卜して七堂伽藍を造られたんです。だから色々な事に精通されていたんですね。で、ひとり芸術ばかりでなく、十七条の憲法なんか作ったんですね。憲法といっても、日本に於ける憲法の最初は聖徳太子という事になりますね。ですから政治的知識も非常にあられたんですね。ですけれども、兎に角仏教を美術に依って開こうという事になった。其為にあの時代の仏教美術というものは非常に盛んになって、まあ奈良の大仏なんて、あゝいった驚くべきーーあの時代にあの位の立派なものを作るという事は殆ど人間業以上ですね。

 丁度私はそれを世界的にした様なものです。で、私は芸術に依ってメシヤ教を開くという事は、丁度聖徳太子がやられた事を、もっと大きくしてーー世界的にしてやるのと同じですね。それで私か今やっている事は、つまり千手観音の働きになる訳なんです。

 ですから私か一番最初に始めた時の観音会ですね。観音会を作るに当ってーーそれが昭和九年の十月でしたね。観音会を作ったんですが、其時に千手観音を画いたんですよ。之から千手観音の働きという訳ですね。私は其時には気がつかないで、画きたいから画いたんですが、今日になってみると、そういう必要があってやらされたんですね。

 ですから現在私か色んな事に手を出して、何でもやりますが、千手観音の働きですから色んな事をやる訳ですね。で、千本の手に色んなものを握りますがね。握るといって、懐に入れちゃう訳じゃないんです。凡ゆるものを救われるんですね。救うという事は、それを自由にしなければ救えないから、つまり言う事を聞かなければね。それで、握れば自由自在になりますから、それで思う様に救える訳ですね。

 そういう事は大体知ってましたが、今度夢殿に行って、そうして尚はっきり分ったんです。つまり聖徳太子がやられる事がね。私に憑った訳ですね。だから矢張りメシヤ教の為に大いに働かれる事になったんです。ですからもう夢殿には霊が居られなくなったんですね。

 だから、今に開けっ放しになるかも知れませんがね。

 で、そういう神様の事というのはちゃんと、年限でも時でも凡て決っているんですからね。そんなら早くそうしたら良いだろうというが、そうはいかない。やっぱり時期々々に依ってそうなっている。矢張り「神は順序なり」でね。花が咲いて実がなるのと同じでね。幾ら神様がみんなに綺麗なものを見せたいといって、正月に桜が咲く事はないんですからね。そういった、時と順序それは厳然として動かす事は出来ない。

 それで夢殿は聖徳太子が始終仕事をなさるのに、丁度夢殿がある処で仕事をなさったんです。それを記念としてあそこに夢殿を作ったんですからね。つまり奈良の中心は法隆寺で、法隆寺の中心は夢殿というんですから、仏教の中心は日本に於ては夢殿ですね。あれが中心といっても良いですね。

「御教え集10号」 昭和22年05月07日

御教え集