結核問題

 結核問題はヨーロッパにおいては略々解決せりといわれているにかかわらず、日本においては最近大問題となっている。この同一の結核問題がヨーロッパと日本と反比例しつつありという事はまことに不可解である。

私はそれ等に対し以下解説してみる。

 世界の主要文明国での結核は四、五十年以前より遂次減少しつつあるに対し、独り日本においては逆に増加している。まず現状についての日本における結核による死亡者を見れば三十年前に比較して約三〇%の増加を示し昭和八年(一九三三年)には十二万六千七百四人に達し、彼の赤痢、チフス、コレラのような伝染病による死亡者の総数に比較し優にその四、五倍に上っている。尚結核患者の数は専門家の推定によると、死亡者数の十倍すなわち百二十万人を下らないものと認められている。これを人口に割当てる時五十人に一人という事になる。しかしながら実際は右の三倍に上っていると当局者は言明している。

 次に各国における古い時代から現在に至る療法の概略を示してみよう。

 結核が初めて医学史上に表われたのは古い事である。すなわち西暦紀元前四百年にギリシャの医聖ヒポクラテスは肺癆<はいろう>を説き、その後紀元前後の頃にはその療法としてはチェルズスは海浜、プリニウスは林間説を唱え、ガレンは山獄及び牛乳療法を主張したのであるが、今より約百八十年前に到って初めてドイツのヘルマン・ブレーメルが一定の療則を定めて療養所を創設し、今日のサナトリウム療法の基礎を築いたのである。

 その間日本においては天正五年(西暦九八二年)丹波康頼は「医心方」を著して肺結核を伝屍病<でんしびょう>として論じ、又文化二年(西暦一八〇五年)橘南蹊は肺結核に伝染と遺伝とあるを説き、本間玄調はこの病毒が伝染毒なる事を専ら論証したのであった。

 西暦一八八二年にロベルト・コッホが結核菌を発見してから初めて結核の本体が判明し同一八九〇年コッホは有名なるツベルクリン療法を創始したのである。しかしこの療法は病竃<びょうそう>を刺激して抵抗を増させる事実は認めらるるが、これが病症のいかに係わらず応用された為に重症者や悪化する者が続出し予期の成果を収め得られなかった。

 このツベルクリン療法に刺激されてその後いくたの免疫化学両方面の真摯な研究が続けられたのであるが、いずれも臨床上確実なる効果ある方法が発見されなかった。ここに至って再びブレーメルの自然療法が結核療養の本道として認識されるようになったのである。

 現在世界に有名なアメリカのトルウドウ療養所、スイスのレーザン療養所同じくタボス療養所等はいずれもこのブレーメルの自然療法に影響されて設立したものであって、この自然療法は栄養療法と共に結核療養に不可欠のものとなったのである。

 次に、 医学においては治病作用として抵抗力発生に重点を置くが、 医学の解釈によると、抵抗力とは我々の人体に侵入してくるすべての有害物に対して自然の防御作用が備わっている。すなわち体内に侵入した黴菌を溶解し殺菌しその毒素を打消すべき抗菌物質があるというのである。それは白血球の食菌作用などで、これ等の力を総称して抵抗力というのである。

 現在ブレーメルの自然療法や栄養療法が推奨さるるのも、結局体内に栄養を充実さして抵抗力を強め、自然治癒を計るを目的としたもので、いわゆる「自己の病気を治すものは自己の力以外にない」という信念を具体化したものである。

 以上は現在医学上の理論と対策を述べたのであるが、私の発見した結核についての解説を為すに当って現在結核の最も多い日本を対象として述べてみよう。

 それは近代日本が特に青年層に結核の蔓延が著しくなったのはいかなる理由に因るものであろうか。そうして国家的大施策を施しつつあるにかかわらず反って逆効果を来し、国力に及ぼす影響はけだし甚大なるものがある。それは私の観る所では、政府及び専門家の結核防止の対策それ自体が結核を増加するという逆効果となりつつあるからである。忌憚なくいえば医学が結核蔓延の主動的役割を遂行しつつありという事である。

 今日医学が肺結核と診断する患者、特に初期の患者においては、肺に異常は全然無いのであって驚くべし、そのほとんどが誤診である事である。

 今日医学上の診断法としては種々あるがまずラッセル(水泡音)の有無、マントウ氏反応、赤血球の沈降速度、結核菌の顕微鏡検査、レントゲン写真等であり、症状としては持続熱、咳嗽、喀痰、血痰、喀血、削痩、盗汗、胃腸障碍<障害>、呼吸困難、疲労感等であるが、それ等について順次説いてみよう。

 病気の真因の項目において詳説したごとく感冒防遏(ぼうあつ)の結果、漸次身体各局部に然毒及び尿毒、薬毒(このの三毒については別に詳説する)が集溜凝結する。しからばその局所とはいかなる所かというに大体一定している。すなわち頭部の全部又は一部、頚部淋巴腺、延髄付近、肩部、腕の付根、肋骨及びその付近、横隔膜及び胃部、肝臓部、腹膜部付近、鼠蹊部淋巴腺、肩胛骨付近より脊柱の両側及び腎臓部等である。これ等一局部又は数局部の毒結が第二浄化作用によって発熱し、咳嗽喀痰その他種々の症状を発生する。その際医家は感冒と診断し浄化停止を行うが、その結果幸いに奏効すればしばらくは健康保持の状態を続けるが、毒素は依然として残存固結し、しかも薬毒の追増によって復び浄化発生する。復停止するという事を繰返すにおいて停止力よりも浄化力の方が勝ち、発熱その他の症状は慢性的となる。ここが一般結核初期までの経路である。

 しかるに近来医学の進歩によって結核の早期発見と唱え、種々の機械的診断法を行い断定するのである。

 そうしてそれらの機械的診断法が、医家はもとより社会一般にいかに信じられいるかは周知の事実である。しかるにその診断方法が実は誤りの因となり、結核増加の役目をしているというのであるから問題は大きいのである。それをここに詳説してみよう。

(一)「ラッセル」とは肺臓の一部に滞溜せる喀痰が、呼吸の為に一種の喘音を発するのである。この原因は、身体各局部に固結せる毒素が発熱によって溶解すると共に一旦肺臓内に浸透滞溜し、咳嗽による吸出を俟っているという訳である。ゆえに吐痰によってラッセルは消滅すべきであるが、後続喀痰がある以上容易にラッセルは消えないのである。この状態を医診はその局部に病があるごとく誤解するのである。

(二)「マントウ氏反応」とはツベルクリン注射によって陽性又は陰性の区別を知るのであるが注射の結果その部に紅潮又は腫脹を呈するを陽性といい、なんら異常なきを陰性という。医学の解釈によれば陽性はすでに結核菌に侵されており、陰性は未侵というのであるが私の解釈によればこれは反対である。その理由を事実によって解いてみよう。人間が毒虫や蜂に刺された場合腫脹を呈するのは、もちろん虫毒に因る浄化作用の為であるがそれは毒に対するに所女的肉体であるからである。かの中国人の一部には南京虫に刺されてもなんらの症状のないのは、すでに抗毒素の発生によって解毒せしむるからである。又私の体験によればブトに刺された場合非常に掻痒<そうよう>を感ずるが、頻繁に刺され慣れるに従い漸次掻痒を感じなくなる。これ等もブト毒に対する抗毒素発生の為である。これ等の例によってみても陽性とは結核生菌に対し抗毒素未発生の為であり陰性とはすでに生菌に侵されて抗毒素既発生であるからである。
 そうして結核菌はなんら恐るべきものではない。何となれば決して感染するものではないからで、この事については後段に詳説する。

(三)「赤血球の沈降速度」
 これは血液の清濁を測定する方法であるが、いうまでもなく濁血者は血液中に不純物を保有しているから、浄化作用発生しやすく罹病の機会が多い訳である。しかしながら濁血者は結核のみ発病するとは限らない。あらゆる病原となるのであるから、結核のみの病原に限定する点に医学の誤りがある。

(四)「結核菌の顕微鏡検査」
 医学は結核菌の有無によって病症の重軽を判定する。すなわち保菌者を解放性と称して警戒する。これはなんらの意味はない。何となれば結核菌は前述のごとく感染の憂はないからである。

(五) 「レントゲン写真」
 医学の診断においてはレントゲン写真をすこぶる重要視しているがこれについて解説してみよう。
 レントゲン写真に表われたる胸部のカゲの有無大小によって診断を下すのであるが、一体このカゲなるものは何であるかという事である。私の研究によればこれは胸部又は背部に滞溜せる毒素の固結である。しかるに多くの場合、肺臓の外部すなわち肺膜外、肋骨及びその付近の筋肉中に溜結せるものであって、肺臓内部に固結のある事は極めて稀である。ただこの場合肺臓外か肺臓内かの区別は容易に判明する。それは肺臓内の場合は呼吸に影響するからで、呼吸に異常のない場合、肺臓は健全であるとみてよいのである。
 又写真は平面的であるから、肺臓の内外前後等の判別は付け難いのであるが、医学はカゲさえあれば直に肺結核と断定するのであるからまことに軽率というべきである。ゆえにレントゲン写真の診断は不正確というべきである。
 もっとも医学においても正面側面背面等部分的に撮影し、繋ぎ合わして検るという方法を執る場合もあるとの事であるが、これ等は非常に手数を要し、一般的利用は不可能である。又何人といえどもレントゲン写真によれば多少のカゲは必ずあるもので、全然ない人は極稀である。
 医学は大体右のごとき数方法を唯一のものとして診断を下すのであるが、その適確性を欠く事は右の解説によってみても識らるるであろう。

 次に症状について概略説明してみよう。持続熱、咳嗽、喀痰はさきに説いたから略すが、血痰は毒血が少量ずつ痰に混入するのである。丁度腫物の破れたる場合、膿液に血液の混入をみるのと同様の理である。又喀血は毒素が排泄されんとして肺臓外の一局部に血管の亀裂を生ずる為で、これは脳溢血の場合と同様でただ脳溢血は脳に近接せる血管が亀裂するのである。もちろんこれ等も浄化作用の為であって、毒血はいずれかの排泄口を求めて必ず出血するもので、痔出血、赤痢等も同様である。右の理によって喀血性結核は医学においても治癒し易いとしてあるが、私の経験からいうもその通りである。

 削痩(さくそう)
 結核者に削痩は付物である。この原因は発熱、食欲不振、運動不足等によるのであって、特に発熱は体力の消耗おびただしいものがある。 又食欲不振を緩和する為健胃剤を用うるが、 これは一時的効果はあるが、その後に到って反動的に食欲不振を増進させるものである。次に運動は体力増進に効果ある代り発熱の原因ともなるので、この取捨按配が難しいのである。要は自然に心の欲するままに行動するのが最良の方法である。

 盗汗<寝汗>
 医学の解釈によれば疲労の為というがこれは逆である。何となれば浄化作用の一種であって、熱によって溶解され液体化した毒素が毛細管から滲出するのである。ちょうど汚れ物を熱湯で洗濯した–その洗い水のごときものである。ゆえに盗汗者は割合体力がある訳である。老人に盗汗者の少いに見ても明かである。
私の経験上、盗汗者はおおむね経過良好である。又感冒の場合、発汗すると治るのも同一の理である。

 胃腸障害
 絶対安静によって結核者は運動不足となり非常に胃腸を弱らせる。これは健康者といえども絶対安静を永く続くるにおいて、胃腸は睡眠状態となり衰弱するのが当然である。いわんや病者においておやである。私はこの絶対安静ほど不可なるものはないと思う。この点も後段に詳説する。すなわち消化薬連続服用が逆効果を来し、発熱が食欲を鈍らせる等、実に結核者の胃腸障害は多くの場合致命的ともいうべきである。
 そうして特に注意すべきは、結核と診断された患者の大多数は化膿固結性腹膜炎を保有している事である。この症状は腹部は普通の腹膜炎のごとく膨大がないので、医診は発見出来得ないのであろう。腹部はむしろ縮小している者さえあるが、触診すると硬化著しいのと熱感によって知らるるのである。ゆえに硬化が胃腸を圧迫し、食欲不振の原因となり、腹部の固結が浄化排除さるる場合持続性下痢となるので、医家はこれを腸結核と誤るのである。又この固結膿は咳嗽、喀痰、呼吸逼迫の原因ともなるので、これ等の腹部症状の患者に対し医家は結核者となすが私はこれ等の患者に対し、腹膜治療を施すにおいて漸次快方に向いついにいわゆる結核は治癒するのであるから、医家の誤診もまた甚だしいというべきである。

 呼吸困難
 この症状も結核者に最も多く、患者によって差異が甚だしいが、いずれかといえば悪性である。そうしてこの原因は左のごとくである。
(一) 肺臓内に毒素滲透し、それが多量の場合肺の容積が減少する為、必要量の空気を吸収するには呼
  吸回数を多くせねばならず
その為の場合
(二) 肺膜外に、既往症である湿性又は化膿性肋膜の治癒後、その残存膿結のある場合浄化発生によっ
  て呼吸に支障を与える。
(三) 横隔膜付近の膿結に浄化発生の場合、これが呼吸に圧迫を及ぼす。
(四) 発熱により全身各局部特に肋骨付近にある毒結が溶解し肺臓に滲透せんとする場合肺自体がそれ を吸収せんとし、呼吸運動が強化さるる場合

 疲労感
 これは発熱及び体力消耗による全身的衰弱の為である。

「天国の福音」 昭和22年02月05日

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