教祖が観世音菩薩を祭神として、大日本観音会の名のもとに立教を宣言するにいたった背後には、観世音菩薩との深い因縁に目覚めていく、ひたむきな歩みがあった。昭和元年(一九二六年)以来、観世音菩薩の霊身は、常に教祖に付き添い、見守り、ときには教祖を自由自在に操るという密接不離の関係にあって、救いのために活動してきたのである。
多くの人々の病を癒しつつ、数々の奇蹟を体験してきた教祖は確信をもってみずからが発揮する救いの力がどこに根ざすのか、また、神と観世音、観世音と自分との結び付きはどのようなものかといった根本的な教理を明確にしていったのである。それでは教祖に示現した観世音菩薩とは一体どのような霊格を持つものであったのだろうか。
観世音菩薩とは、仏教経典において、衆生(民衆)の救いを求める声に応えて救いをもたらす広大無辺の慈悲の権化とされた。昔からインドをはじめ、中国、韓国など東洋の諸民族から、これほど親しみをもって信仰をされてきた菩薩はない。わが国の観音信仰も古くから貴賤を問わず盛んに信仰され、霊験あらたかな仏として歌や物語などに取り上げられ、多くの人々の尊崇を集めてきた。
文献によれば、観世音菩薩の原名は、インドの言葉である梵語でアバロキティシュバラといった。これを中国の唐時代の初めの学僧・鳩摩羅什<くまらじゅう>は、「観世音」「光世音」と漢訳したのである。「世に光を与える名の持ち主」という意味で「光世音」といい、「悩める衆生の音声をみそなわす人」を意味して「観世音」とも言った。このように菩薩の持つ慈悲と力徳を、総称した名前として伝承されてきたのである。
観音は「救世の権化」として、多くの大乗経典に現われているが、その名も働きに応じて多岐にわたっている。たとえば「人の願いをむなしくしない」ということを意味する不空羂索観音<ふくうけんさくかんのん>とか、「思うことは必ずかなえる輪を持つ」という意味での如意輪観音とか、そのほか、大聖、馬頭、白衣、十一面、千手千眼観音等々、その時、その場における救いの対象に応じて三三相に化現すると言われてきている。
前述のごとく教祖は、「大日本観音会」を発会するにあたって『善言讃詞』という祝詞を作ったが、「これは観音経を縮めたものである。」と説明している。観音経とは『妙法蓮華経』(一般には『法華経』といわれている)二八章中の第二五番目の章、観世音菩薩・普門品のことである。
そして、この『法華経』はひとり仏教の信仰や哲学に大きな影響を与えたばかりでなく、仏教芸術や文学にも、大きな刺激を与えたのであった。多くの仏教宗派においては、この法華経を釈尊最後の体系的説法の集大成であるとみて、仏教諸経典中の最高中心にあるものとしている。こうした位置付けを与えた人は、中国においては天台大師であり、わが国では聖徳太子である。
聖徳太子が『法華経』を解釈し、註釈を付して厳密な思想研究を行なった『法華義疏』は、今日、宮中に御物として奉安されている。その文中には、「これはこれ、大委の国、上宮王<かむつみやのみこと><*>の私に集まるところ、海<わた>の彼<あなた>の本<ほん>にはあらず」と記されている。これはどこまでも太子自身が解釈して集成をしたものであって、海の彼方<あなた>の国、つまり中国大陸の仏教家から伝えられた仏教的解釈によるものではないというように、主体性をはっきりとさせているのである。今日の研究では、冒頭のこの一句は、後になって挿入されたのではないかと見るむきもある。しかし『法華義疏』を子細に調べると、この一句の意味するところはじつに的確であることがわかる。
『観音経』はその法華経の中でも最も重要なものとされ、一般においても、それ自体、単独の経典として尊ばれできたものである。教祖が立教にあたってこの『観音経』を取り上げ、これを基礎にして『神前奏上詞<しんぜんそうじようし>』を作った立場は、聖徳太子と同様に、従来の仏教的な考え方とは必ずしも同一ではなく、教祖独自の主体性の上に立ったものであった。
*聖徳太子の別名
教祖の説く観音観、すなわち、本教の神観は、神智によって会得された解釈に基づいている。
教祖は立教後間もない昭和一〇年(一九三五年)一月一一日、観世音菩薩について信者に講話をし、その中で菩薩が神の化身(人々を救うために形を変えて現われた姿)であり、日本からインドヘ渡って種々の経綸を行なったと説いている。仏典『華厳経』には、善財童子(釈迦の前世の姿とされている)が教えを求めて補陀洛迦山<ほだらかさん>(補陀落山<ふだらくせん>)の観自在菩薩をたずねたとあるが、この菩薩こそ、日本から渡って行った神の化身であると説いている。
仏教が、わが国に伝来してから、それが日本の社会に受容されていく過程で、仏と神は同根であり、仏が根本の姿であって、神はその化身であるとする本地垂迹説が一般に説かれてきた。しかし教祖は神示に基づいて、諸仏は本来神であり、仏は神の化身であるという神本仏迩の立場に立って説いているのである。
右の講話は教祖が、みずからに働きかける観世音菩薩、すなわち「大日本観音会」の信仰の対象神について初めて正式に語ったものである。それ以来、教祖はおりあるごとに信者に語り、また多くの刊行物を著述していく中で、大乗経典等とはまったく異なる観点に立って、みずからの説く観世音とは弥陀<みだ>の脇侍のそれではなく、むしろ阿弥陀の上位に位するものであると位置付けている。
現在唱えられている『善言讃詞』に、
「敬<うやうや>しく惟<おもんみ>るに 世尊<せそん>観世音菩薩此土に天降<あも>らせ給ひ 光明如来と現じ 応身彌勒と化し 救世<ぐせ>の真神<みかみ>とならせ給ひて 大千三千世界の三毒を滅し 五濁<ごじよく>を浄め 百千万億 一切衆生の大念願 光明常楽永劫<じようらくえいごう>の 十方世界を成らしめて……」
と示されているように、観世音とは、造物主である神が衆生済度を意図し、菩薩(仏のつぎに位し、人々の教化、救済にあたる修行者を言う)の位に身を落として地上に顕現した姿であった。その後、時の移り変わりとともに、光明如来、大光明真神<みろくおおみかみ>となって、本来の神としての活動をする。それゆえ観世音菩薩は、後の光明如来と同様、天地創造の神、すなわち主神が、その時代、時代の働きに応じて顕現する姿そのものである。
「大日本観音会」の信仰の対象である観世音菩薩は、仏教でいう観世音の概念にとどまらず、すべての神仏の本源である絶対の存在、生きとし生けるものことごとくを生かさんとする救世神にほかならないのである。そして観世音菩薩の力徳が発揮され、救世の経綸が進められる、その在り方について、観世音菩薩から発揮される力が、教祖を通じてこそ、真の救世救人の観音力として発現されると教祖は乱いている。
教祖はみずからの腹中にある光の玉に、観世音菩薩の救世の力が強く働きかけていることを、数々の神秘的な宗教体験を積む中で自覚した。この光の玉こそ、教祖が発揮する奇蹟の救済力の源<みなもと>となるものである。教祖はつぎのように書いている。
「此玉の光の塊から光波は無限に放射されるのである。然らば此光の玉の其本源はどこにあるかといふと、之が霊界に於ける観世音菩薩の如意の玉から、私に向って無限光を供給されるのである。之が即<すなわ>ち観音力であり、不可思議力妙智力<みようちりき>とも言はれるものである。如意輪観音が持し給ふ玉も之である。」
ここに説かれている如意輪観音は、観世音菩薩が働きに応じて姿を変える化身の一つであって、いっさいの願いを成就させる働きを担う観音とされており、その持つ玉は、すべての願いが意のままにかなう神秘な玉と伝えられている。
当時、教祖に接する機会を得た人々の中には、霊眼が開けて、光の玉を目にする人々もあった。この神秘な光の玉の力によって神示のままに神業は進められていったのである。
我有<わがも>てる光の玉は日に月に拡ごりやがて世界を包まむ