瑞雲郷においても、箱根の場合と同様、必要なものは必要な時に過不足なく手にはいるという奇蹟が相次いだ。たとえば、救世会館の用地を造るため、山を削る工事が進められたが、その途中で大量の岩石が出土した。ところが、この岩石はすべて神苑内の各所に構築された石垣に活用することができたのである。もし、この大量の石材をほかから購入したとすれば、その経費や運搬費は多額にのぼったことであろう。
つぎのようなこともあった。
昭和二三、四年(一九四八、九年)ごろ、救世会館の敷地造りが盛んに進められていたさなか、教祖は工事の能率をあげるため、自動車道路の建設を担当者に指示した。しかし道を造るには、斜面を切りくずすため大量の土が出るはずであった。そこで担当者が、「切り取った土は、どのように処分いたしましょうか。」と現場責任者として当然考えておかなければならないことを質問したところ、
「君、そんな先のことまで心配するな。神様がついているんだから心配ない。今にいいようにしてくださるよ。」
という返事であった。この言葉に、担当者は唖然としてしまった。ところが間もなく、梅園の土地が手にはいると、そこが深い谷なので、道路工事の残土はさっそくその谷を埋めるのに利用され、また、その時に出た石で新人寮周辺の石垣を築くことができたのであった。
その後も石が必要な時には、その都度すぐ近くから出てくるし、余った土は他のくぼ地を埋めるのに必要になるというように、すべてが過不足なく納まるといった具合に奇蹟的な事実が続いた。このことを通して、関係者一同は、教祖の言う通りにしていれば間違いないということが理解できるようになるとともに、熱海もまた、箱根と同様、神が用意された聖地であるという確信を強めたのである。
大神の深き仕組はいとしるく箱根熱海の土に知らるる
終戦前後、国民が戦禍に疲弊して、その日の生活に追われている時代に、教祖は燃えるような情熱を注いで、次々と土地を手に入れ、自然のたたずまいから、より美しい姿を導き出していった。
このような、とどまることのない造営の進展は、常に時代の先を見越した教祖の英断と、的確な指揮によるものであることは改めていうまでもないが、一方に、こうした教祖の情熱に応える信者の赤誠があったことを忘れることはできない。全国津々浦々で、日々、神の力によって救われた信者が、少しなりともと捧げた誠心の結集によって、聖地は建設されていったのである。経済的に余裕のある中で建設が進められたのでは、けっしてなかった。しかし必要な時に必要なだけの浄財が、信者の誠心、感謝の心によって寄せられたのであった。しかも浄財を捧げることによって、また大きく神の守りを受ける喜びの輪、救いの輪はさらに、広がっていった。昭和二三年(一九四八年)一〇月末現在で八万八〇〇〇人であった信者は、わずか半年後の翌年の五月には一一万人を数えるにいたったのである。