このように、教祖は多くの病人に摸し、さまざまな病を浄霊で癒すことによって、しだいに神の意図にかなった浄霊の在り方を見出していったのである。それと同時に浄霊の神力に深く関係する「浄化の理」を洞察したのであった。
教祖は広く一般に恐ろしいものとされている病が、じつは人間の身体の内発的な清掃作用であり、健康を損うものであるどころか、反対に人間を真の健康にいたらしめる喜ばしいものであることを神から教えられ、これを「浄化作用」と呼んだ。
人間は誰しも生活をしていると、身体に汚物がたまる。外面の汚れは洗えば落ちるが、体内の汚物は本来、生理作用によって排泄されるようになっているわけである。ところがその中で、排出しきれずに残留する部分がある。この残留物がある程度蓄積すると、身体におのずから備わる自然良能力、治癒力の働きによって排除作用が起こる。そのさいに苦痛を伴う。これが病気と呼ばれるものの実体である。すなわち浄化とは健康が増進されるための大自然の仕組みであり、神の大いなる恵みにほかならない。そして体内の汚物は、病理的にいえば毒素と表現され、宗教的には、霊の曇りとなるのである。
浄化作用ほ病気ばかりでなく、不幸や災難など、さまざまの形をとって現われる。しかし、病気の場合と同様に、これらすべては浄化作用であるから、それが済んだ後には、かえって以前よりも良い状態になる。教祖はこの点について、
「善い事は無論結構だが、悪い事も浄化の為で、それが済めばよくなるに決っているから、ドッチへ転んでも結構な訳で、無病結構、病気結構としたら、これこそ真の安心立命である。」
と説いている。
浄霊は、あらゆる苦悩の根本原因となる霊の曇りを解消し、浄化作用を促進する。その結果、霊主体従の法則によって、体内に蓄積した汚物があれば、これを排泄するとともに不幸や災難などの苦しみを和らげ、これを解決して幸福をもたらすのである。
したがって、教祖は浄霊について、
「浄霊は病気を治すのが目的ではない。浄霊とは幸福を生む方法である。というのは単に病気といっても勿論浄化であり、その因は霊の曇りの解消作用であるのは今更言うまでもないが、そればかりではなく、人間一切の苦悩のなくなる作用である。」
と断言している。
大正の初めまで教祖はさまざまな病気にかかり、肺病や腸チフスで死に直面したこともあったので、病を恐れ、医者との親類付き合いを望んだほどであった。しかし、その後蓄積された薬毒の恐ろしさを身をもって体験して、この考えは少しずつ変わっていった。しかも、信仰の世界にはいって以来、神から大きな力と叡智を授かって、病に対する考えは一八〇度の転換をしたのである。
病とは身魂浄むるものなればこよなき神の恵みなりけ り
穢れ多き人を浄むる業こそは誠の救ひの綱にぞありけ る
と詠み、人々の救いのために力を尽くしたのである。それとともに、教祖は大正時代に生身の人間として、多くの苦しみに遭遇したし、それらの苦難を一つ一つ克服することによって、人生における真理・真実なるものの追求に没頭してきた。みずからの歩みを振り返って、こうした人生体験が人々の救いのために欠くことのできぬものであったことを改めて覚ったのである。
教祖はこの浄霊の救済力∥神の光を、「神霊放射能」と表現している。
そのころの教祖の霊力の強さを証す話が伝えられている。その一つは昭和四年(一九二九年)八月のことである。教祖の最初の弟子となり、東京の中心地・麹町付近の布教、開拓に努めた山室は、教祖からもらった扇子が霊光を放っているのを見て驚き、さっそく教祖に報告したのはすでに述べた通りである。
少し時代はくだるが、昭和九年(一九三四年) の正月四日にはつぎのようなことがあった。
忙しく正月の三が日をすごした教祖は、大森の屋敷の庭で、前日自分で買ってきた凧を上げた。達磨の絵の大凧が、晴れわたった冬の空を昇っていく。たまたま庭に出ていた岡庭真次郎は、ふと空を見上げて、びっくり仰天してしまった。大凧は紫色の光を、ちょうど、花火の火が吹き出すように、二メートル巾ほどの大きさで四方八方へ広げながら、松風荘の上空に威風たりを払って浮かんでいるのである。岡庭は大声を出してみなを呼んだ。集まった人々はその光を仰ぎ見て、あまりの荘厳さに心を打たれ、身の震えるような感動を覚えたという。そのうち教祖は、ほかの人に、「ちょっと持ってておくれ、手洗いへ行ってくるから。」
と、凧糸を渡すと、光は一瞬にして消えてしまった。しかし、教祖が戻って釆て、糸を手に取ると、ふたたび大空に美しい光が広がつたのである。かたわらにいた岡庭が興奮してこの神秘の理由を尋ねると、教祖はさりげない調子で、
「いや、なんでもないですよ。ただ私の身体から出た光が、手から糸を伝わって凧まで行くと、 伝わる所がないから、凧のまわりから吹き出すだけなんです。」
と答えたので、一同はますます感銘〈かんめい〉を深くしたのであった。
観世音菩薩から教祖に与えられたこの霊力は、夜昼転換の事象と深い関係をもつものであった。すなわち、霊界が夜の間は、現界の夜がそうであるように、暗闇の時代であった。しかし、昼になると、太陽は赫々と輝き、霊界は光明遍照の世界になる。したがって、霊界の転換が進むにつれて、神力はますます増大していき、当然この事象は、人類の将来に重大な影響を与えずにはおかないのである。
すなわち、霊界が昼になり、光が強まるにつれて、いっさいの正邪善悪は白日のもとに照らし出され、それ相応の結果がもたらされるからであり、各人は今までに犯した罪積れを清算すべき時を迎え、償いを課せられる。これをイエス・キリストは「最後の審判」、「世の終わり」といい、釈迦は「仏滅」、「法滅尽」と言った。
このことは啓示に基づいて教祖が感得したことであり、したがって、理論的な説明や理解を超えた性質のものである。
観音の化仏〈けぷつ〉の御名〈みな〉に長き世を救はせ給ひし神ぞ尊き
観音メシヤ五六七〈みろく〉光明如来とう御名は変れど一つ神なり