一厘の御魂

 「『大本教の「松の世」、天理教の「甘露台の世」、日蓮の「義農の世」等はすべて「地上天国」を指すのである』との御言葉でございますが、その一々の字義について御教示を御願い申し上げます」

 大本教は世の中を松竹梅で説明するんです。そして今までは竹の世だって言いますが、大本教では何時でも「梅で開いて、松で治める神国となるぞよ」っていうお筆先を出しますが、松は地味な花が咲き、常緑樹で一年中色が変りませんね。そういう変わらない世の中が来る、それが神の世になるっていう事なんです。つまり、今までは仏の世だった、仏ってのは神様の化身ですから、もとへ御還りになるという事なんです。

 で、「梅で開いて」というのは、主の種は梅干だっていう事からなんです。これは少しこじつけのところもある様ですが、梅干ってのは酸っぱい、すいでしょう。だから主の種が梅干だっていうんです。

 梅の種っていうのは、一厘の御魂といって、九分九厘まで行ったところを、一厘の御魂が出て覆すというんですね。悪魔は九分九厘、神は十分(ぶ)なんです。つまり一厘だけ神様の方が多いんです。この一厘の力で悪魔が掌をかえすっていうんですが、これはおもしろいですね。観音経っていうのは法華経二十八品の中、二十五番目の普門品っていうんですが、この法華経っていうのが花なんですね。で、花が散って実が残る、その実が観音経なんです。そして五は火ですから、昼の世界の始めになるんですよ。

 そして一厘の御魂っていうのが大変な力を表すんですよ。

 で、私は昭和五、六年に面白い事があったんですよ。まだ大本教に熱心な頃でしたがね、ある人が私の所へ、天保銭と五十銭銀貨と一厘銭を持って来たんです。私はその時、どうも意味がありそうな気がしたんですが、よく見ると、その銀貨は明治四年のものなんです。それでね、天保銭は大本の教祖が天保生れなんです。それから銀貨の方は、出口王仁三郎の生れたのが明治四年なんですね。

 そこで、一厘銭は、私かその一厘だって事を知ったんですが、全く、神様はいろんな事をなさるんでね。・・・

 それから間もなく私の友人が、丸の内の中央亭で、満月会っていうのがあって、なかなか為になるから行ってみろって言うので行ってみたんですが、満月会っていうのは毎月十五日に集まって。その会を「いろは」順にやってゆくんですね。で、私の行った時はもう四十七回やっていて。「いろは」の順だから丁度「す」になるんです。あの会長は木村鷹太郎といって、よく人類学なんかやって、日本の民族史の本なども出してる人ですがね。その日に巣まったのが二十六人でしたよ。これは各階級の人が集まるんで、教育家、新聞記者、学者、芸術家等ほとんどあらゆる階級の人が寄るんです。それでね、「す」で満月会ですから、何か神秘があると思ったんですが、散会して夜の九時頃帰ったんです。ところが、翌る日の新聞をみると、丁度その私の帰った九時頃に、東京の三河島で火事が起ったというんです。焼けたのは花火屋で、あの頃は玉屋と言いましたが、その玉屋が沢山ある所で、その中四十七軒爆発してしまったんです。

 で、「す」の満月と玉屋、ーー丸いですからね。そこに関連があるんですよ。三河島は私の祖先の御寺のある所で、その御寺は観音寺っていうんですがね。ここは震災で焼けてしまい、その時坊さんがいろいろなものを持って逃げたんでが、結局全部焼いてしまって、私の所に持って来たものだけ残ったんですよ。

 とにかく、その時に、いろいろな神秘を知らされましたよ。つまり。私が月満ちて生れたって事なんですよ。 

「御光話録11号」 

御光話録