二人の老人の話

 一家が千束町に住んでいたころ、近所に二人の老人がいたが、教祖はこの二人から、犯した罪の報い、人間の運命について、大変鮮烈な印象を受けたのであった。

 一人は教祖の父親・喜三郎の商売仲間の、花亀という老人であった。この男は当時浅草一と言われた道具屋であった。花亀という名は「花川戸に住む亀さん」という表現を縮めて付けられた渾名〈あだな〉である。この老人は六〇歳ほどの時に完全な盲目となってしまった。

 花亀について教祖に語ったのは父の喜三郎であったが、その中で、それがまったくの天罰であると言ってつぎのような因縁話をしたのである。

 それというのは、花亀がまだ中年のころ、静岡のある寺の住職が、浅草寺の境内を借りて自分の寺の本尊の開帳を企画した。多くの参詣人から金を取って本尊を拝観させようとしたのである。ところが予想に反して拝観者が集まらず、住職は多額の借財を作ってしまった。出先のことゆえ、持ち合わせの金もなく、他に方法もないので、やむをえず本尊の観世音菩薩を抵当に金を借りて、金策のために国へ帰ってしまった。その時、本尊と引き換えに金を貸したのが花亀であった。金を持ってくるまでの抵当にという話であったが、花亀はその約束を破って外国人に売り払ってしまったのである。

 何も知らない住職は、こしらえた金を持って、花亀の所へ戻ってきて本尊を返してくれるように頼んだ。ところが花亀は、「そんな覚えは全然ない。何かの間違いだろう。」と頭から取りあわなかった。ついに進退窮まった住職は、花亀を呪いつつ、その軒先で首をくくって死んだのである。花亀はその後、店を一段と大きくしたが、後になって盲目になってしまった。そのうえ、一人息子が大酒飲みで、数年の間にさしもの資産をみな飲みつぶし、家出をしたまま行方知れずになってしまった。

 こうして花亀は急速に零落、親戚などの援助でようやくその日その日を暮すありさまとなった。教祖は、老いた妻に手を引かれ、町を歩いている花亀の姿をたびたび見かけたのであった。

 いま一人は、やはり教祖の家の近くに住む、経師屋の銀次郎、通称〃経銀〃という老人の話である。経銀は腕のたつ職人であったが、この男は贋絵を描くのが得意な絵描きと組んで、できあがった贋の絵にうまく古さ加減をつける贋物作りの名人であった。教祖はよくその家へ遊びに行ったが、その家の中で、けっして他人を入れない一部屋がある。そこが秘密の作業場であるとのことであった。ところがこの経銀もまた、六〇歳のころから盲目となってしまったのである。父の喜三郎は経銀の失明の原因もまた、他人の目を欺いて不正の金を手に入れた報いであると教祖に語ったのである。

 おのれの犯した罪ゆえに、悲惨な晩年を送ることになったこれら二人の老人の姿は、これから生い育って、多くのものを学び、社会に出て行こうとする教祖の、柔軟で多感な心に、人の罪に対して下れる天罰がいかに恐ろしいものかについて、忘れ難い印象を残したのである。このことは、まさしく天罰の生きた見本を目にし、耳にした鮮烈な体験である。それは、父のさりげない話の中から、終生消えることのない教訓となって生かされていく。その意味で、この父は、よき人生の教え主でもあったと言えるであろう。