日と月

 宗教上より見たる日と月について説明してみるが、これは甚だ神秘幽玄にして、コジツケとみらるる節<ふし>なきに非ず。しかしこれは真理である以上、心を潜めて判読されたいのである。日本古代に三種の神器がある。これは璽<たま>、剣、<つるぎ>、鏡ということになっているが、ちすなわ玉は日であり、剣は月であり、大地は鏡によって表徴されている。玉は太陽の形であり、剣は三日月の形であり、鏡は八咫<やた>の鏡と唱え八凸<はっとつ>に分れている。すなわち東、西、南、北、艮<うしとら>、辰巳<たつみ>、坤<ひつじさる>、戌亥<いぬい>の八方を象<かたど>ったものである。この三種の中で、大地は分り切っていて説明の要はないが、日、月に就いては深い意味があるから、それを書いてみよう。

 ここで分りやすくする為、天理教で唱える説を借りてみるが、それは月は突きであり、日は引くという意味で、日月とは引きと突きであるという、これはなかなか面白い解釈と思う。それは夜の世界においては何事に於ても突く事を好む。大にして国と国とが互いに突き合う。戦争がこれである。衝突という事も突き合いである。古代における戦争は剣で突き合った事は明らかである。それが転化して交際する事もつき合うという。文字が違うだけで言霊<ことたま>は同一である。突き進むという言葉は勝利を意味する。全く月の働きであり、夜の世界を表わしている。

 右に引替え、ヒキ、ヒクは退<ひ>く事である。引寄せる、陣を退く、敗北する、腰を低くする――というように、すべて月と反対であり、この理によって昼の世界はてすべがヒキの働きであるから、負ける事をよしとする。人間では謙譲である。これでは争いの起りようがはずない。我々の方では風邪を引く事をよいとしている。本教団の目的が病貧争絶無の世界をつくるという、その「争」がなくなるのは、以上の意味から考えらるるのである。本教団は日ちすなわ火素の活動が主である以上、突きでなく引きを心に銘じて活動すべきで、それによって多くの人が引き寄せらるるのである。   
                                
 又日は玉であるから、円満清朗、円転滑脱でなくてはならないのである。

「天国の福音書」 昭和29年08月25日

天国の福音書