明主様及び總斎、井上、金子に対する起訴が決まったのは、昭和二十五年七月十二日であった。裁判は同年十月十一日に、静岡地方裁判所において開廷された。これから二年二ヵ月、四十一回にわたる長い公判が開かれていく。結審は昭和二十七年十二月二十四日であった。判決はまったく意外なことに、関係者全員に執行猶予がついたものの懲役刑であった。明主様の無罪を固く信じていた信徒たちは、意外な判決に驚きの色を隠せなかった。もともと自白だけが唯一の証拠であるのだが、その自白に任意性が認められない以上、全員無罪となるのが当然であった。弁護団はすぐに被告らに上告を勧めたが、明主様のご判断により上告は断念された。
贈賄側、つまり教団側は控訴を断念したが、教団側からの贈賄を受けたとされる収賄側の役人たちは直<ただ>ちに控訴した。結果は全員無罪となった。証拠不十分として検察の敗訴となったのである。もともと存在しない事件をつくり出した検察の失態である。教団関係者は有罪が確定していたが、結果的に無罪を証明したことになったのである。
この事件は、教団の急成長を羨む社会的風潮と、教団内部の不調和が生み出したものであった。
明主様はこの時「散花結実」という御書を信徒にご下附されることによって、この間の法難についての意味を説明しておられる。それは喜ばしい神事が苦難の中で成就するように、実を結ぶためには花は散らなければならない、という意味であろう。
この「書」における“花”としての總斎、井上、金子の三名は、法難以降、教団の中枢から離れることになる。總斎はこの教団がさらなる発展を遂げるための花という重大な御用をいただいて、ここで一度散ることになる。だが、明主様の「散花結実」の御書の真実の意味は、そのような皮相的な解釈でよいものであろうか。
昭和二十六年の明主様のお言葉に“シベ”で散ったとある。“シベ”とは“オシベ”“メシベ”の総称である。“シベ”の本来の目的は「結実」である。“シベ”である總斎の本当の御用は実はこれからなのである。
また昭和二十七年七月二十五日、ご面会時のみ教えで明主様は次のように語っておられる。
それから昨年の事件に就いて、一つ言いたい事はどうして起こつたかという事は、これは教団を乗っ取ろうとする陰謀の一団があった。陰謀の一団というと大袈裟だが、陰謀者があった。これがなかなか智恵があって、おまけに私は疥癬でなんにも出来なかった。それで任せきりであったために、その隙に乗じて教団乗っ取り策を構じて、それには私と渋井さんをまず追い出すという事が一番の狙いであった。それで、当局を巧妙な手段で動かしたという事は、悪智恵という──凄いものがある。とうとう当局を動かして、その当時は、メシヤ教になった当時で、メシヤ教というのは大変にけしからんものだ。これを調べたら何かあるに違いない。それにとうとう乗ってしまって、それでこいつを大袈裟にやってみようと、ああいった大袈裟にやったのです。
(『御教え集』十二号)