教祖は来客があると、客の好みの美術品を用意してもてなした。したがって花の場合にも、自分だけのために生けるのでなく、その美しさを客人や信者、家族や奉仕者などと共に楽しんだのである。 このように、教祖は花を重んじ心を込めて花を生けたので、おりに触れて口にした言葉の中にも花にかかわるものが多い。たとえば、「花を愛する人に悪人はいない。」、「邪神は花を嫌う。」、また「花は霊界に非常にいゝ影響を与へる。」などがある。和歌にも
、
美はしき花に憧るる人こそは花にも似たる心持つなれ
人の情月雪花に目を外らす人は身魂の低ければなり
春の花秋の紅葉を愛づるこそ神の恵みに応ふるなりけれ
と詠んでいる。また、昭和二四年(一九四九年)五月には「花による天国化運動」と題する論文を書いて、「家の中や職場はもちろん、人間のいるところはどこにでも花があるようにし、花によってこの世を天国化しよう。」と提唱したのである。
そればかりではなく、教祖はまた、みずからが生けた花をカラー写真に撮影させてもいる。
昭和二八年(一九五三年)、後の箱根美術館・館長の吉岡庸治が撮影した教祖の生け花のスライド三九枚がそれである。
この中には、緑の紅葉一枝に黄の小菊を根じめ<*>として生けた楚々たる花、小手毯につつじを配した艶麗な花(口絵カラー写真参照)、竹に桔桔梗>をあしらった粋な花、竹籠にチューリップ二輪のモダンな投げ入れなど、生け方は縦横に変化しながら、それでいて花器と調和しつつ、全体として斬新で、しかも奥床しい、みごとな美の世界が展開されているのである。
*生け花でおもな枝の根もとにあしらい、趣を添えるとともに、安定させるための花材
最初の撮影は、同年三月一五日であったが、その直後の面会日に、教祖はつぎのような主旨の話をしている。
「近ごろは変な花がはやってきています。花を殺してしまうので、形はよくても、うま味がありません。だから、できるだけ自然のよいところをいかし、表現すること、そういうほんとうの花の生け方を知らせるために、この幻燈(スライド)を作ったのです。
とにかく、私の生け方は革命的なものです。花はこういうように生けるのだということの教えにもなりますし、また、その花によって、見る人が浄霊されるわけです。」
このカラー写真が縁となって、一九年後の昭和四七年(一九七二年)六月一五日、地上天国祭の良き日に、生け花に込めた教祖の心を受け継ぎ、「華道山月流」が創流されたのである。