人口増加率減少の問題

人口増加率減少の問題

 以上示したところの各国の統計によってみても現在における世界の人口問題の趨勢は略々了解されたであろう。そうして要約してみると次の二点に帰着する。
 一、ヨーロッパにおいては十九世紀中葉以後、日本においては大正十年以後増加率減少が始った。
 一、死亡率減少と増加率減少と平行する原因。

 右の二項に向って徹底的メスを入れてみよう。

 (一)の原因として私は世界人類が救世主のごとく思っている種痘の実施そのものである事を断言する。
 そもそも種痘なるものは一七四九年イギリスバークレーに生れ、一八二三年逝去したエドワード・ジェンナーの発見である事は周知の事実である。彼は僧侶を父とし、一七九二年ロンドンにおいて医学士の資格を獲たのである。しかるに一七一〇年頃よりギリシャの娘達が痘瘡患者の膿疹中に針を入れ、その膿汁を皮膚に注入すると軽度の痘瘡で済む事実を知ると共に、さらに牛痘をよって人痘に代り得る事を発見し、一七九六年五月十四日彼は彼の実子の腕に牛痘を植えてその成功を確かめ一七九八年いよいよ種痘法を発表したのである。

 次に日本においては一八四九年(嘉永二年)痘苗<とうびょう>渡来し一八五八年(安政五年)種痘館が開設され西洋医学所となり、漸次国民一般に種痘を施行する事になったのである。

 そうして種痘によって恐るべき天然痘が免疫となるという事はいかなる理由によるのであろうか。これについて説いてみよう。

 それは種痘によって発病しないという事は、天然痘毒素が解消して無になった場合と、天然痘毒素が在っても何かの理由によって発病しないというこの二つの理由をまず知らなければならない。元来人間は生れながらにして先天的種々の毒素を遺伝保有している。すなわち天然痘、麻疹、百日咳等である。特に天然痘毒素(以下略して然毒と称す)は悪質なるをよって怖れられている。しからば天然痘がいかなる理由によって発病するものであるかというにそれは人体における自然浄化作用に因るのであって浄化作用の為然毒が体外へ排除されんとして全身的皮下一面に集溜されるのである。すなわち内部から外部へ向って圧出されるのでこれが発疹である。ゆえに発疹の粒形一つ一つが破れて膿汁が排出されるにみても明らかである。その際の高熱は毒素を排除し易からしめんが為の自然溶解作用である。

 しかるに種痘なるものはこの然毒の自然排除作用を停止せしむるのであり、すなわち浄化作用を薄弱ならしむるのである。換言すれば陽性をして陰性化せしむるのである。かくのごとく排除力を失い陰性化した然毒すなわち陰化然毒は体内に残存する事になる。しからばその残存した陰性然毒はどうなるかというと、これがあらゆる局部に集溜固結し、種々の病原となるのみならず全身的機能をも衰弱せしむるのであるから、それが体位低下となり、特に婦人の妊孕<にんよう>率低下に及び人口問題の原因ともなるのである。

 この事は人口統計を見れば如実に表われている。すなわちヨーロッパにおいては種痘の発見後からであって、統計の示すごとくフランスが最も早く種痘発見後三、四十年を経て、イギリスは約七、八十年を経た頃から増加率減少の徴候が表われ始めている。日本においてもヨーロッパとほとんど揆を一にし、一般種痘が行われてから以後約五、六十年頃にその徴候が表われ初めている。

 そうして陰化然毒があらゆる病原となる事を説くに当ってまず今日までの医学はいかにその根本を誤っていたかという事と、末梢的進歩を真の進歩のごとく錯覚していたかという事を説いてみよう。

 まず病気とは何ぞやと言う事である。

「病気とは何ぞや」、と言う事ほど古往今来人類の頭脳を悩ました問題はないであろう。この謎を解かんとして今日まで全世界幾千幾万の医師及び医学者がその一生を捧げた事であろう。しかも今よってこの謎を解き得た者はないのである。そうして現在までの説き方によれば、漢方医学においては五臓六腑の調和の破綻と謂い、西洋医学においてはかのウィルヘョウの細胞衰滅説及びドイツのコッホ、フランスのパスツール等の細菌説である。ゆえに今日までのあらゆる学説は一様に–病患なるものは「健康の破壊」となし、窮極において生命を失うものとされていた。又宗教においては「神の戒告」あるは「罪穢に対する刑罰」ともされていた。したがって病気とは恐るべきもの、悲しむべきもの、呪うべきものとされていたのである。しかるに私の説は「病気とは祝福すべきもの喜ぶべきものであって、全く神が人間に与えた最大なる恩恵であり、又自然の生理作用でもあるというのである。ゆえに病気によって人間の健康は保持され寿齢は延長される」のであるから感謝すべきものである。

 この説を読まれたいかなる読者といえども、その意外なるに驚歎せずには措かないであろう。しかしながら項を追って読まるるに従い、何人といえども首肯すべき事を私は信ずるのである。

「天国の福音」 昭和22年02月05日

天国の福音