二、三日ほど前から、東京は天気がよいぶん冷え込みが厳しく、昼を過ぎても気温が上がらなかった。その日の朝は、いくらか冷え込みは緩んだのだが、午後からどんよりとした雲がかかっていたことを彼は憶えている。再度明主様のお屋敷にお伺いしたのは夜になってからであった。
總斎・渋井總三郎は、ある人物を待ちながら、胸の高鳴りを抑えることができなかった。その方は、まだお見えになってはいないのだが、もうじき襖一枚隔てた隣室にお見えになるであろう。しかし、今はまだご不在のはずの隣室から、五十二歳を数える總斎が生まれて初めての、何かとてつもない力を感じていた。
總斎はこの歳になるまでさまざまな宗教的修行を積んできた。高名な宗教家を何人も知っている。だが、この方は今まで会ったこともない人智では計り知れない力を持つ人物である。なぜなら、この方は本人がお見えになる以前に、すでにこの不在のお部屋からも神秘的な霊力を放っておられると思うのである。それが總斎には感じられた。
總斎はこの日、たまたま母の腰痛と姪のカリエスの治療の相談のために、世田谷上野毛の宝山荘に明主様・岡田茂吉を訪ねたのであった。幸いにも、この日は夜に特別講習が行なわれるというので、無理を承知で特別参加をお願いしたところ、望外にも聞き入れられた。そこで控室でお待ちしているのである。
岡田教祖がみなの待つ部屋に入って来られた。その時であった。總斎がこれまで感じていた目に見えない神秘的な力が身も心も圧倒する勢いで迫ってきた。一瞬のことであったかもしれないし、数十秒続いたかもしれない。
その時、まばゆい光を感じた。總斎は目を一瞬閉じてしまった。そして目を開けた時、正面に座った岡田教祖の背後に観世音菩薩が立たれているではないか。ハッと思ったその瞬間、岡田教祖の中に観世音菩薩がすっと入っていかれたのである。
總斎はその時思った。
「長い間待っていたのはこの方だった。よし、この方のためにすべてを捧げよう」
それだけだった。このあと、「夜昼転換」についてのお言葉を教祖は述べられた。このご講話の間も、教祖のお顔と観世音菩薩のお顔が錯綜して見えていた。
岡田教祖二明主様と渋井總三郎とのこの運命的出会いは、昭和十三年一月二十六日のことである。