大乗と小乗

 大乗と小乗に就てよく質かれるが、この事については以前にも相当かいた事があったが、どうもまだ徹底しないようだから再び筆を執ったのである。

 まず根本から説いてみるが、大乗は緯で小乗は経である。すなわち大乗は水で、小乗は火である。だから大乗はどこまでも拡がるから無限大である。小乗は深くして高くはあるが狭い事になる。たとえばキリスト教は大乗だから世界的に拡がったが、それに引換え仏教は小乗だから拡がらない。孤立的になる。又大乗は唯物的で、小乗は精神的であるから、キリスト教によって白人文明は物質的に発展したが、仏教は精神文明であるから隠遁的(いんとんてき)で、一時は発展したが漸次衰えつつある。

 又卑近な例ではあるが、日本が米国に負けたのは、日本は火でありアメリカは水であるから、どうしても火の日本は水のアメリカに消されてしまう。以上のように今日までの世界は、火の経と水の緯とが対立的であった。これについて今一つこういう点も見逃す事は出来ない。それはかの共産主義も火であるから、赤い色である。とすればこれもアメリカの水と対立している訳である。だから最後に世界は、経と緯と必ず結ぶ事になる、すなわち十字形である。この十字形文化こそ理想世界の完成であって、キリスト教の十字もそれを暗示したものである、なるほどキリストの受難である十字架も、そういう意味もあるが、これは小さい。神ともあろうものがそんな小さい意味だけではない、右のような大きな意味も示唆している事を知らねばならない。

 又、十字形とは経は霊で、緯は体であるから、どちらに偏っても本当ではない。前述のごとく両方が結んでこそ完璧である。すなわち大乗にして小乗、小乗にして大乗であらねばならない。そのように結んだ真中が伊都能売(いづのめ)という観音様のお働きになる、観音様は男であり女であるというのも、その意味に外ならない。故に十字の真中に心をおくとすれば、千変万化融通無碍の働きが出来るのである。すなわち心魂を中心におく時はいとも小さいが、一度経緯へ拡がればいか程でも大きくなる。そうして経の働きは厳として犯すべからざる父のごとく、緯の働きは自由自在で春のごとく、何人も懐かしむ母のごとくでなければならない。又気候にしても冬は小乗であり、夏は大乗であるからどちらも極端で、春と秋が好い気候であるからこれが十字型の真中であり、中性である。だからこの時を彼岸と言うのは、理想である彼方の岸、すなわち天国浄土的の気候であるから、お祝いをしたり、お寺詣りをして霊を慰めるのである。

 以上によって、大乗小乗の大体は理解されたであろう。         
(自観)

「栄光81号」 昭和25年12月06日

S25栄光