記者曰『栄光』二百十八号に「超奇蹟」として御発表せられた、この素晴しい奇蹟について「広く世界に知らせたい」との明主様の御言葉もあり、岡田道一博士の骨折りにて、六名の医学博士を招き、意見の交換がかわされたのであります。
この日(八月十五日)午後三時、大草管長よりの挨拶があって後先ず医師側より発病当時の状況の聴取があり、ついで教団側との間に一問一答がかわされ、次第に急所へと触れていったのであります。
明主様には午後三時四十分御出ましになられ、各医師より診断の結果の発表があり、終って明主様より御言葉を賜わったのであります。
以下その時の明主様の御言葉と、各医師の診断の結果〔略〕とを速記によってお知らせ致します。
尚、当日は産業経済新聞記者二名、報知新聞記者一名が臨席致しておりました。
明主様御言葉
一言お話ししたいと思いますが、宗教家でありながらお医者さんをお招きしてこういう不思議なことがあったということをお見せするのは、これは医学とか宗教というような意味を超越して、こういう事実があるということを世界中に知らせたい位なものです。そうしてこれに対して、学者ならざるも、そういったことに関心を持っている人達に一つの研究の材料として提供したいと思うのです。そこでこの問題の重点は、全部なくなっていたものが新生したか、あるいは重要な機能が一時引込んでいたものが又出て来たのか、というところにあります。
ところが私の立場から申しますと、これは確かに新生したものです。そこでなくなったものが新生するということは理屈に合わないということになりますが、そこで奇蹟ということになります。というのは、あり得べからざることがあったということが奇蹟です。ところがあり得べからざることという言葉は、あり得ることを未だ発見できないためにあり得べからざることと断定したがるのです。ですからしてこれはあり得べきことと立派に説明できるまでに科学が進歩してないと思います。いずれ科学がもっと進歩すれば、これが当り前だ、こうあるべきだ、というところまで行くと思います。私の考えでゆくと、これは当り前のことで、全然なくなった物が元通り出るということは何ら不思議はありません。しかしただそういったところで到底信じられる訳はありません。そこで私は今『医学革命の書』という本を書いてますが、その中にそういう点を根本的に詳しく書いてありますが、いきなりそのことを話しても絶対に分りかねることは分ってますから、ただ今はその説明は致しません。何となればそれほどの神秘をあばくのですから、神秘をあばくとすると相当な予備知識が必要です。ですから現代人が現代の科学の頭脳をもってそれを理解するということは到底不可能です。予備知識というと変ですが、大体分り得る程度に順序を追って説明しなければなりません。併しそれは人によって程度がありますが、すっかり分り得る人は滅多にありませんが「ははあ、そういうものかな」と大体のことは分ると思います。大それた話ですが、科学がもっと発達した暁にはそこに行くに決ってます。
原子爆弾を落す前にその説明をしても分る人はないでしょうが、丁度それと同じです。私のいうのは、理論物理学のもっと先を説いているつもりです。今湯川博士は物性論の説明をしてますが、あれは中間子の発見から物性論になったのですが、物性論からその次に行く所がありますが、それを私はすっかり書きました。今の科学を押し進めた奥の奥を説けば、今の睾丸や陰茎が取れて元通りに新生するということはそう不思議はありません。私のいうことは馬鹿馬鹿しい大言壮語と思われるようなことですからあまり話したくありませんが、これによって今度本を読んで頂けば、私の話がここの事だなとヒントを得るに便利だと思いますからお話しした訳です。医学革命といっても私が革命するのではなくて革命されなければならない道ほどに進んで行く訳です。それが実際の文化の進歩であり、そうなるべきが当然です。