昭和26年エピソード

自分の悪に勝て

 私は、この前悪に勝つという論文をかいたが、これは悪人に負けてはならないという意味であったが、今度は他人事ではなく、御自分の腹の中に居る悪に勝たなくてはならないという事をかいてみる、およそいかなる人間でも、腹の中ではいつ …

『地上天国』二十五号-巻頭言

 我救世教は、病気治し専門のように思われているが、一般は只病気とさえ言えば、肉体のみの悩みと思っているが、この観方は実は違ってはいないが、まことに小さい観方である。もしそれだけとしたら、本教の病気治しは進歩した医学でしか …

或る神秘 読後のお言葉

 右の井上氏の記事〔略〕を見て、私はハッキリ判った事だが、何しろ随分時が経った事とて只桜木氏の女児について、何か神秘のあった事だけは漠然と記憶に残っていたのであったが、今度井上氏の文によって当時の記憶を呼び醒まし、私は喜 …

最後の審判とは

 最後の審判とは、キリストによって発せられた言葉であるが、それはいかなる時期に、いかなる形によって表われるかという事で、キリストはそれについて全然言われなかったから、今以て謎とされているのである。特にクリスチャンは長い間 …

一の世界

 そもそも、現代文明を検討して見る時、その構成は唯物科学が基本であることは言うまでもないが、今それについて詳しくかいてみよう。  それについえまず知っておかなければならない事は、大宇宙の構成である。といっても人間に直接関 …

慢心取り違い

 大本教の御筆先には慢心取り違いを一番戒めているが、全くその通りである、だからこの言葉を頭に入れて、信仰者をよく観ると、思い当る点がこれに多いのである、それについてよくこういう事がある、浄霊の場合馴れない最初の内は、自分 …

天国は美の世界

 神様の御目標は、真善美完き理想世界を御造りになるのである事は、本教信者はよく知っているところである。としたらその反対である悪魔の方の目標は、言わずと知れた偽悪醜である。今それを解釈してみるが、偽はもちろん文字通りであり …

再びベルグソンに就て

 私は以前、フランスの有名な近代哲学者である、彼のアンリ・ベルグソンについてかいた事があるが、今度再びかいてみたい心が起ったので筆をとったのである。というのは、よく私に対って、色々な事を訊いたり、又私の方から話す場合、そ …

『地上天国』二十六号-巻頭言

 時局はいよいよ朝鮮戦争も、曲りなりにも平和の段階に移って来たようである。何しろいかに中共の人海戦術といえども、国連側特にアメリカの進歩せる武器に遭っては、到底長く太刀向う事は出来ないに決っている。その様な訳で、最初の国 …

医学の盲点と自然良能力

 現代医学の誤っている事は、常に私の唱えている通りであるが、その中で最も誤っている点は何かというと、人間が先天的に保有している自然良能力を全然無視している事であって、それはこうである。  今仮に、病気に罹るとする、早速お …