(08) 天啓

乾坤山・日本寺

 昭和元年(一九二六年)の神憑りを通して、救世の重大な使命を自覚した教祖は、昭和三年(一九二八年)二月四日の節分を期し、全身全霊をあげて神業に邁進する決意を固めた。そして、その三年後の昭和六年(一九三一年)五月なかばごろ …

参拝行

 創建当時法相宗であった日本寺は、その後、天台宗、真言宗と転宗の歴史を経て、江戸時代には曹洞宗となり、教祖が訪れた昭和初期には同宗の関東霊場となっていた。高名な禅僧、原田祖岳がこの寺の管理にあたり、住職をしていたのは第一 …

黎明の証し

 六月一五日、日本寺参詣より帰宅した教祖の身辺には、それから三日の間、不思議な事象が相次いだ。教祖はそうした身辺に起こる事象と、日本寺で体験した神事との一部始終符節が合っており、そこに、今後の自分の運命や、世界の推移が暗 …

夜昼転換

 昭和六年(一九三一年)六月一五日の早暁、日本寺山頂において教祖が感得し、その後さまざまな神秘を通じて具体的に裏付けられていった、“重大な天啓”とは、一体どのような内容のものであったのだろうか。  後に教祖はこれを「霊界 …

新文明の夜明け

 教祖が日本寺に参詣した時から、夜昼の大転換は本格的に始まったが、これに先立つこと七百余年の昔、黎明の第一歩があったと述べ、文化の伝播をめぐる神秘さに触れてつぎのように説いている。  すなわち人類を幸福へと導く真の文明は …

浄霊の確立(その一)

 教祖は天啓を受けたあと、ますます信念を固め使命感に燃えて、人々を苦悩から救うことに努めた。その救いの核心となり、また原動力となったものが浄霊であり、その最終的な在り方が確立されるまで、さまざまな変遷をたどっている。   …

浄霊の確立(その二)

 このように、教祖は多くの病人に摸し、さまざまな病を浄霊で癒すことによって、しだいに神の意図にかなった浄霊の在り方を見出していったのである。それと同時に浄霊の神力に深く関係する「浄化の理」を洞察したのであった。  教祖は …

一布教師として

 昭和の初期から、大本では、人類愛善運動、梅花運動という一連の思想改革運動に大きな力を注ぎ、個人的な苦悩よりも、むしろ社会全体の思想を改革して新たなる世界を築こうとする方針をとっていた。したがって浄霊によって病を癒し、悩 …

書画による救い

 昭和四、五年(一九二九、三〇年)ごろから教祖は、信者から請われるままに、書や絵の筆を執るようになった。当時中心となったものは観音像で、その大きさも色紙から大幅のものまでいろいろあり、神体やお守り、あるいは「おひねり*」 …